3. インターネットによる体罰の研究(第2回)

English version is here.

杉田 荘治


はじめに
     今年平成7年(1995年)6月に、第1回分としてインタ-ネットを通して体罰問題を研究しようとした理由
    や、その方法、流れている資料の概要などについて述べたが、今回は体罰容認、反対や実状、その
    他に分類し、これに若干のコメントを加えながら述べることとする。
資料は第1回以降のAlta Vistaの
    ものを中心とし、これにThe Open the Textなどからの代表的な意見と思われるものを加えた。
    また、その順位を付したが、これは先回、述べたように、それはいつも変動しているので、大体の目安
    として位置を示したのである。
     さすがに積極的に体罰に賛成する意見や規定は殆どない。 ある一定の条件のもとで体罰を認める肯
    定論が大部分であるが、次のNorth Carolinaの規定はその一つであるといえよう。 これは第1回でも少
    し述べた。すなわち、
     「各教委は体罰を実施することができる規定を制定することができる。 そのさい最低の基準を設ける
    ものとする。 また過度な体罰についての歯止めを規定すること。」と定めている。
    このように具体的な体罰規程を各教委に委ねながらも、その権限の拠り所を明記しているところが特徴
    的である。
    また、次も積極論である。すなわち、
     この[7の4]に体罰に関する規定があり、Georgia 州教育委員会は、各地方教育区で体罰実施を制限
    するような規程を設けることに反対する旨、述べている。
    
次も一定の条件の下で体罰を認める体罰容認論の典型的なものである。
     そして体罰は怒りにまかせて実施してはならない。 また生徒の非違行為の程度より厳しい懲戒はいけ
    ない。 また体罰実施のさい、服を脱がせることは許されない。また、General Information(Alta Vista No.
    163)には体罰禁止とは別に、騒ぎを静める場合などには力の行使は許されるとする前述と同様の規定が
    ある。
    このように一定の条件の下で体罰を認めるものは、既に第1回でも紹介した、あるCalifornia州の教育区の、
    頭を打ってはならない、デリケ-トな生徒に行ってはならない、3年生以下の子どもには許されない、立会人
    を置くなどと多くの例が見られる。 Knob Noster High School の職員手帳にも、体罰は最初の手段としては
    許されない、校長か副校長によって正当な方法でのみ実施できる、とするなど一定の条件を示しているなど
    が、その例である。

    ここで親の体罰賛成意見を紹介しておこう。
     これはある体罰反対論者に反駁する手紙形式のものであるが、そこでSJ.Willing氏は、自分は内科医とし
    て15年間、多くの子ども虐待のケ-スを見てきたが、体罰は適度に実施されれば決して子ども虐待にはなら
    ない。 「子ども虐待」と叫んでいる人たちは事実を針小棒大に体罰のことを言っている。 第一、服従につい
    ていえば、子どもが親に従わないことが問題であって、それは大人が政府や雇用主に従わないことと同じで
    ある。  また、あなたはクリスチャンが「残酷な罰」を鼓吹しているといっているが、それは極く一部の特別
    な人たちであって、私の知っているクリスチャンは、そんな人たちではない。
    実際に子ども虐待の瀬戸際に立たされている多くの子どもたちというのは、実父からひきはなされた子どもた
    ち、すなわちシングルまたは離婚した母親の相手の男性-ボ-イフレンド、家族のメンバ-、継父などである。
    このことは、デ-タ-も証明しているし、私の長い経験からもいえることである。 確かに、離婚が少なくなれば
    子ども虐待も少なくなるであろう。 そのようなラジオ番組をあなたは聞かれなかったか、と述べている。

    次も体罰肯定論の一つであるが、示唆するところが多い。 紹介しよう。
   Marthin Dougさんのコメント
     いろいろな文献やエッセイは体罰を非難しているだけなので、私は残念である。 体罰は子ども虐待、との
    ラベルを貼りたがる人たちもいる。腕を折ったとか心理的、情緒的な障害をひき起こす危険性があるなどの
    批判があるが、案外、生徒は自分の違反行為にたいしてとられた懲戒を受け入れているという事実が知ら
    れていない。
     また、親や教員は愛情、生徒理解をもって体罰を実施することが大切なのである。 そもそも愛情と懲戒とは
    相反するものではなく、不離一体のものなのであるということを忘れてはならない。
    私は、家庭でも学校でも体罰は必要であると考える。 75%の学校管理職もこのことを認めているが、今日
    アメリカの主なる躾の困難さは、その理解についての困難さからきているといえよう

 平成7年(1995年)7月記             無断転載禁止