English version is here.
    体罰反対論は多い。 次は青少年協会の公開文書で典型的な反対論であると考えるので要約して紹
   介しておこう。
     体罰反対の理由
    体罰は効果がなく、肉体的にも精神的にも有害である。 体罰を受けた子どもは決して道徳的な性格は
   発達せず、教員や権威を尊重するようにはならない。 また、クラスの秩序もよくならず、教員の安全も保
   障されない。 彼らの社会的な生き方や自分をコントロ-ルすることにもよくなるわけでもないし、校内暴力
   の増加を防ぐ効果もすくない。 また体罰は最後の手段としてとられることも少ない。

    体罰を受けた生徒は、そのクラスでは悪い行動をしないかもしれないが、他のクラスへ行けばやるだろう。
   彼らは上手く立ち回り、上手く逃げるというテクニックを身につけてしまう。 自分をコントロールすることも
   できず、欠席、仮病、常習的な犯行を繰り返し、学ぼうとする意欲も減退する。
   そして他の子どもたちが犠牲になり、ぶるぶる震えるような雰囲気のクラスになってしまう。自信や安全の
   意識も薄くなるし、社会心理学的、教育的発達からみても有害である。開かれた共同体や効果的な教育に
   積極的に取り組むという意欲もだめにしてしまう。

    このように述べてきて、ひどい体罰を受けた生徒の約半分は、外傷後に起こるストレスに悩まされる、と指
   摘している。 抑圧や懸念といった色々な兆候もあらわれる。睡眠も困難になり、疲れ、悲しみや悪く物事を
   考える感情、自殺願望、憤慨、攻撃的志向などが強まる。 反対に友達との友好な関係やグル-プで仲良く協
   力することが困難となり、学校での成績も低下する。 反社会的な行動、権威に対する極端な反感、不平、
   学校忌避、落第その他否定的、消極的な青年期の行動がひどくなる。 また、復讐的行動をとろうとし、教員
   や社会に挑戦し、体罰を実施した者たちへも攻撃を向けるが、しかし多くは関係のない人たちに、その攻撃
   を向けるのである。  その被害者たちも又、攻撃方法を学んでいき、大人になって他人をゆするような人物
   になるのである。
    クラスをよくコントロ-ルするために重要なことは教員が生徒に尊敬されるような態度を示すことである。
   教える環境で喜んで働いているという姿勢を真心こめて示すことである。 生徒も価値あるものとして、教え
   れば理解してくれるものとして扱われるべきである。 強調すべきことは、教員と生徒との心の交流であって、
   空しい論争好みの敵対意識ではない。

    教員は生徒に動機づけしてやること。 またクラスをよくコントロ-ルために力を行使するのではなく他の
   方法を学ばなければならない。 生徒に刺激を与える教材や能力に応じて適当な目標を与えてやることも
   大切である。 諸問題に生徒を参画させることも必要で、それには教育的到達目標や振舞いについての
   ル-ルづくりも含まれる。
    また親が生活指導事項に、じゅうぶん参加していないことも問題であろう。またクラスを良くコントロ-ルす
   る模範を管理職が示してやることも必要である。時には制度の廃止も考えられてよかろう。

    やさしく口頭で叱責すること。一時的に集団から隔離すること。また生徒の良い行動に対しては、「愛して
   いる」「感心した」「注目している」などの、ほめ言葉を頻繁に使うことも必要であろう。 これらは力強いもの
   であり魅力のある道具ともいえよう。 生徒は次第次第にそのモデルに引き込まれるものなのである。

    また教員には、できるだけ現職教育の機会が与えられなければならないし、カウンセラ-も多く配置される
   べきである。 また学校は校内停学施設をもつことも必要であろう。 大規模クラスは避けるべきである。不
   測の事態が起こった場合に備えて、学校職員、親、生徒の緊密な協力体制を整えておく必要もあろう。

    1968年の世論調査では,1968名の解答者の51%が体罰反対であったが、1989年には、1250名のうち61%
   が体罰反対でになっている。以上の理由で青少年医療協会は公然と体罰反対を表明する。

  コメント:
    このような体罰に代わるべき方法がとられて効果が挙がればいうことはないが、事はそんなに簡単に運ば
   ないところに体罰問題の苦しみがある。 しかしながら、体罰反対にせよ体罰容認にせよ、常に自問すべき
   課題であろう。


  前述の意見書と同じような次のような意見書もある。
    Tennessee 医療協会は州議会にたいして、強く、すべての学校で、体罰を禁止するよう要請する。 また
   地方の教育区に体罰問題について意見を発信したり、体罰に代わる方法を発展させるように援助されるよ
   う要請する。

  次も相手の意見に反駁した手紙形式の体罰反対論である。 論旨が一部が飛躍しているが紹介しておこう
    体罰は暴力に応えるに暴力をもってすることである。 私が調査したところによれば、体罰は正しく実施さ
   れたことはない。体罰を実施する者は、いつもストレス状態で生徒の行動に動転し、寛容さを忘れがちで
   ある。 私は毎日、生徒のことを気にしている教員や教育行政官、カウンセラ-、助手などを尊敬しており、
   友人である情け深く、熱心で物事をよく知っていることも知っている 。 そして彼らがストレスがたまり、クラ
   スの環境を心配し、悪い一部の生徒によって善良な生徒たちが困っていることも知っている 。 しかし 、体
   罰だけでそれを変えることはできない。

    子どもたちは体罰から暴力は許される行為であるということを学び、自分の気のいらないものに対して暴
   力で応えようとするようになる。 衝突した問題を解決するために暴力以外の方法や行動を発展させるので
   はなく、恐怖心や報復でこれに応えようとする。体罰は権威に対して受け身の服従を教えるだけで、自分た
   ちから進んで学んだり、お互いに尊敬しあったり、社会的に良く生きようとするものではない。

    青少年犯罪は高い率にあり、ことに死に至る事件がそうであるが、それは若者が銃を使うことが多いから
   である。 しかもメディアが犯罪率が高いという印象を与えているが、多くの人たちは社会が微妙に変わりつ
   つあると感じている。 暴力犯罪の被害者たちは、自分たちを攻撃した彼らの行動は一種のファッションで
   あるということを知っている。
    かって安全であった場所は安全ではなくなった。 これはメデイアが注目される事件として報道することにも
   よるし、また実際に増加しているためでもあるが、今やわれわれの車や学校、近隣の食料品店は安全な場
   所ではなくなった。これらが引き金になって、昔の神話的、田園的なコミュニティや大人がコントロ-ルする社
   会へと戻ろうとする願望がある。

    学校は社会を映し出す鏡である。 金属で防御したり、厳重な安全装置を設けることは刑務所に戻そうとす
   るやり方であり、もっと権威ある罰を望むやり方であり裁判や隠した武器を許し、死刑、鞭打ちを望む社会に
   しようとするものである。 私は強く体罰に反対する。 そして暴力以外のプログラムを工夫されることを望み
   たい。
続く ....... 体罰の現状