杉田 荘治 English version, here
はじめに
最近(2003年9月)、幾人かの外国人から標題のような質問を受けた。 それに対して私なり
に答えたが、それを補足して要旨を述べることにする。 また“火中の栗を拾う”ような気もす
るが近く英文でも述べる積りである。
問題点の原因
T それは戦後、急速で高度な経済発展や技術革新からきている。
しかも、それを可能にした最大の理由は軍事費(防衛費)のGDPに占める割合が、精精1%
ぐらいであることからきている。従って99%の予算は教育、技術、産業、医療、住居その他、
あらゆる分野へ振り向けることを可能にしてきたのである。
“戦前”は戦時中の特別な場合を除いても軍事費は常に10%以上であったと思われるので、
この点が戦後と大きく違っている。 勿論、軍事費のなかには、技術革新に寄与する部分、
その他、雇用、産業など多くの分野に直接、間接的に関連しているものがあるが、基本的に
は軍事のために使われる費用である。 また古今東西を問わず、独裁的国家の総ては、そ
のGDPに占める割合は秘匿されているではあろうが常に十分に25%以上と思われる。 また
わが国の軍事費(防衛費)の総額が世界のなかでは多いことをいうものがあるが、しかし上述
のようにGDPに閉める割合が極めて低いことに注目する必要があろう。
U 文明病からもきている。
わが国のみならず、また歴史的にみても高度に発展した国家は文明病にかかる。 また国
家だけではなく、家庭でも社会でも同様であって、金銭的に豊かになるとよく“道楽息子”や
“道楽娘”が現れる。 そしてモラルの低下は青少年だけではなく、老いも若きも程度の相違
はあるものの同様である。 それに価値観の相違が拍車をかける。 “楽しいこと”や銭が最
優先順位を占めるような価値観が普通になる。
V さらに、わが国の場合は『平和国家』が戦後、長く続いていることからもきている。
緊張感が薄れ、世界の現実から目をそらす『一国平和主義』になる。 また勇気の気概が薄
れる。ましてや、いかなる理由があろうとも“血を流すこと”を罪悪視し、集団的自衛権の行使
に賛成する場合でも必ずこのような条件をつけることが普通になる。
今後 それではどうするか
T 適当な緊張感が必要であるが、それを引き起こす要因は主として“外圧”である。
勿論、天災、失業、犯罪の増加、産業の空洞化など経済力の低下などがあるが『貿易立国』
としてのわが国にとっては外からの圧力が最も大きな要因である。
また戦争、戦闘という“外圧”がある。 自衛隊(軍隊)の海外派遣、邦人の救出、ミサイルの
飛来、拉致事件、領土問題などによるものであるが、自ずから緊張を強いることになる。
U 教育についていえば、もっと競争する必要がある。
○ 公立学校での競争
教員の勤務評定と給料格差、学区を越えた学校選択、民間人校長の善用、また外国人
教師やスペシャリストの善用も必要である。 その際、ややもすると彼らを“お客様”扱いす
る傾向があるが、特に校長などに彼らを活用する工夫が望まれる。 また処遇についても
後述『学校財団』からの別途支給などして永続させることが大切である。 また学力標準テ
ストの利用もう少し進める必要があろう。
教員の異動についても、校長どおしで合意のあったものは最大限に認めること。ましてや
その教員本人が納得したり希望する場合はそれを尊重すること。 時には教科の違いなど
もあるが、工夫できよう。 時には、“三角人事”でもよい。コンピューター、英会話、進学指
導、生徒指導など学校(校長)が意図する学校づくりに役立つ。
○ 公立学校と学習塾や予備校との競争
「塾のほうかが楽しい」が普通になるようでは、公立の負けである。
一部の教員がよくいう「人間を育てる」公立教育だけでは信頼は得られない。第一、貧しい
家庭の子供の教育を、どのように説明するのであろうか。 元旦を除いて364日が事実上、
“出校日”となるような公立学校を容認するくらいの気概と工夫が望まれる。
○ 飛び級入学などの実施
「一本釣り」のような極く一部の大学入試を除いて、18才まで入試資格がないという制度を
改正する必要がある。なおこれについては65. アメリカ・カリフォルニア州の『英才児飛び級
大学入学』法案−わが国の場合は?を参照してください。
○ チャータースクールなどの創設
不登校児や特別の才能のある生徒に対する教育についても今すこし改善する必要があろう。
これについても93. 不登校児のためのチャーター・スクールを創られることなどを参照してく
ださい。
○ 教育委員会制度の検討
特に首長との教育についての権限を巡る問題があろう。 アメリカでは新教育改革法の実
施によって、校長を大幅に交代させるなど首長の介入が大変強くなってきている。 これにつ
いても84. アメリカの教育改革法:No Child Left Behind Act その後1などを参照してください。
○ 学校が“親を教育する”ことも時には必要である。
参観授業で親が騒がしい、運動会でわが子の写真を取るのに審判の先生が邪魔になるなど、
本末転倒していることを正すことができない学校では問題にならない。アメリカでは「親の意見
を尊重する」ことは一般的であるが、前述のようなことについてケジメをつけることははっきりし
ている。
○ 生徒に対する懲戒を確実に実施すること。
「体罰は違法」というだけでは極めて不十分である。 停学、校内停学、居残り、地域への
奉仕活動など確実に実施する必要がある。それも1校だけの問題にせず、教委も地域も当
然のこととする雰囲気づくりがないと後退する。“触らぬほうが賢明”ではクラス環境や学校
環境が悪化する。
また一人の教員の責任にするだけでは酷で、特に校長の毅然たる姿勢が大切である。
このことは前述の親に対する場合でもそうである。巧くやらないことで、担当の教員を批判し
てはならない。 また欲をいえば、どんな生徒にも長所があるが、それを見てやる余裕が教員
や学校にほしい。その指導体制が整い、巧く機能することが望ましい。 大変であろうが望
みたい。
○ 教員自身の研修
一つの分野でのスペシャリストをめざして自己研修することが必要である。 そのために教
委や管理職は時間の確保と銭について具体的に配慮すること。 今のような講演が主な地
区研修会などでは不十分で教員みずから自己の短所を補い長所を伸ばすような研修を具体
的に可能にすることである。 かって教員組合が、この時間を組合活動の“隠れ蓑”にする
との批判があったが、そのケジメがつかな いような組合活動では問題にならない。 世界の
組合活動に学ぶ必要があろう。
また管理職や時には教育委員自身の研修についても同様であろう。
○ 学校財団
“特色ある学校づくり”も銭がなくては力が出ない。 教員の顕彰などのためにも『学校財団』
を認める必要がある。従来のPTAは、その会計を事務長や教頭が兼務するなど不明朗なもの
もあったと聞くが、この『財団』は学校とは独立させて“特色ある学校”に貢献する組織にすれ
ばよい。人件費などのために、数校の分を担当するなど、その気になればできよう。 基本的
な学校予算は今までどおりであるので、基本的な学校経営を阻害するものではない。 それに
よってA校、B校と差ができるというなら、“特色ある学校づくり”などいわないほうがよい。
その他、考慮すべき事項
○ 学級定員
教育改革というと、すぐ学級定員を減らすことをとりあげるが、余り大きな問題点ではない。
もう既に40人を切っているところも多いし、むしろ無駄な会議や書類づくりの改善など、また上
述の顕彰や能率化を検討し改善したほうがよい。 勿論、できればもう少し減らしたほうがよい。
○ 日本人の国民性を考慮すること。
すなわち、デリケートな国民感情やグループ志向を考慮することであるが、例えば学校選択、
教員の給料格差、飛び級入学の年齢、生徒懲戒の方法など、そのすべてについてアメリカのよ
うな大幅な差は、わが国では適さない。むしろ小さな差でもブライドを満足させるような策が最
善である。
○ 「日本による侵略」という侵略論は、今後長く、喉にひっかかったトゲとして、教育でも両面に
作用する。すなわち、日本を自重させる力として、また「すぐ侵略したと過去のことを持ち出し
内政干渉する」という反発力との二つの作用である。 特に中国との関係でみられるが、これ
が同盟国としてのアメリカとの力関係に影響する。愛国心、隣国としての中国との関係、同盟
国としてのアメリカとの関係とのバランスなど、難しい選択が教育でも次ぎ次ぎと求められてい
くであろう。
○ 日本人は本来、叡智な国民である。 戦後の再建、近くは阪神大震災での被災者の整然とし
た行為など多くの例からこれを知ることができるが、『明治維新』についても顕著に表れている。
すなわち、前にも述べたことであるが、武士たちが、自分たちの帰属する武士階級を消滅させた
という、世界史的にみても珍しい革命であるが、黒船の到来によって、このまま幕藩体制が続
けば、当時の中国やアジア諸国のように欧米列国の植民地になりかねないとの危惧の念が、
そうさせたのである。 現代にあっても学ぶべきことである。
2003年10月7日記