Shoji Sugita: 杉田 荘治
日米の教員解雇
- わが国の現状
わが国の懲戒免職は、刑事事件として社会を騒がせたレベルのものが多い。成田闘争事件がその一例であるが、刑事事件としては起訴猶予処分になった程度のものであっても「いやしくも教職にある者が、このような社会を騒がせるようなことをするとは何事か」といった心情的要因も大きく加味されながら行政処分が行われる傾向が強い。
校内で飲酒し、その後自宅で教頭に傷害を与えた例もそうであるが、ある教員が地区慰労会に出席した後、職員室で飲酒し、自宅に帰ってから教頭と口論し、妻の制止も聞かずに包丁で数回刺し、全治2週間程度の傷害を与え逮捕された事件であった。 また、飲酒し二度も人身事故の交通事故を引き起こした教員の懲戒免職の場合もそうである。
分限免職についても同様であり、時には生温いとの批判さえも受けるほどである。例えば、ある教員が興奮しやすい性格で、いつも大声で話し、事務職員に2週間の傷害を与えたり、児童の顔を殴って傷つけたり(訓告処分を受けた)した他、「売女ども...」と児童の母親を怒鳴りつけたこともあった。 また、校内放送で「先生の中の泥棒がいる..」といって、しかも放送係の児童の後頭部を拳骨で数回殴った。しかも校長に毒づくなどの行為が10回以上もあってようやく、分限免職とされた例がそうである。
アメリカにおいては、市民として、また父母として到底、それまでに放置しておくことはないであろう。
「定数上の過員」による分限免職についても、わが国では、できるだけ配転などを行うことによって、そのような処分は行わないが、アメリカでは例えば、特殊学級の生徒が減少したため「定数上の過員」となり他の学校へ転任させられたが、そこでの勤務が余り良好ではなかったとして「無能力」として解雇された例のように[定数上の過員]による例はよくある。
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- 免職事由
わが国の免職事由は一律的であるが、アメリカではそうではない。
すなわち、わが国では地方公務員法29条で免職事由が一律的に定められているが、アメリカでは州や教育区によって異なり、しかも細かく規定されている。刑事休職についても、わが国では起訴されれば休職となるが、アメリカでは教委の裁量によってまちまちである。
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- 法規と教育的配慮
アメリカでは教員人事についても法規にストレイトに拠ることが多いが、わが国では法規の他に教育条理、慣習などが多く加味され、「法律的にはそうであろうが、しかしこれに教育的配慮を加えるとこうなる」とされることが比較的多い。 これは時代の変化やその場の事情に柔軟に対処できる利点があるが゛、同時に曖昧さ、不合理、恣意的な裁量に陥る危険性もあろう。
法禁とされる体罰と実際に黙認されている一部の体罰との例がそうであり、また懲戒処分としてはなく、[諭旨免職]として、また生徒に対してではあるが[ 自主退学 ]などの形で措置されることがその例である。
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- 教育専門職意識と生活安定度
アメリカのベネット教育長官が'87年レポ−トで日本の教育を賞賛し、「日本ではよく学習指導も12月にわたって行われている」と述べているが、確かにわが国では人材確保法によって相当高い給与が、どの教員にも保障されており、またそれは市町村の財政的富裕の程度とは関係なく、市町村立学校職員給与負担法によって国によって保障されている。 したがって教員の職業的安定感がしっかりしている。
アメリカでは先の『危機に立つ国家』でも「教員給与については増額すること、また雇用契約を11月にすること」などと提案され、州知事会議でも同じようなことがいわれながら、実際には各州や地区の事情もあって、充分には実現されていないようである。 この点、わが国では前述したように長期休業中といえども同額の給与が支給されるので、アルバイトをする必要はなく 、従ってまた兼職、兼業は禁止されている(教育公務員法21条)。 教員は安んじて自己研修の時間を充てたり、生徒の対外試合の引率、補習・補充授業、家庭訪問等に取り組むことができる。
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- 勤務評定
わが国では勤務評定を解雇に利用することは比較的、少ないが、アメリカではそれは一般的である。
しかもわが国では、それをいわゆる長い目で観察しようとし、また現職教育にこれを利用して学校全体の教育効果の向上に役立てようとする傾向がアメリカよりも強いように思われる。
すなわち「自分達の学校をより良くするためには、どうしたらよいか」という考えのもとに、劣った教員に対して優秀教員の同僚としての自発的協力を期待するなど、学校としての和が尊重される。
教員給与の優遇策についても、いわゆる緩やかなカ−ブのものとなり中堅教員(その多くは平均的教員)の優遇策に重点が置かれる。「能率給」や「マスタ−教員」制度についても同様で、アメリカのように「メリット・ペイ」を厳格に適用し、優秀教員をおもいきって優遇し、平均的教員を督励し、劣等教員を排除するといった方式を採らず、優秀教員に対する増額分についてもかなり控え目にこれを押さえ、劣等教員の減額分についても少なめにし、余程の劣等教員でもない限り免職にはしない。
これは確かに、わが国の利点であるが同時に、教員個々人を合理的に評定するといった勤務評定の本旨から離れ、時には「無能力」教員を必要以上に庇い適正な人事を徒に遅延させるおそれもあろう。生徒の学習権保障の見地からみても問題である。
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- 解雇手続き
アメリカでは解雇決定に至るまでの手続きが必須要件である。その根拠は合衆国修正憲法14条に基づいているが、わが国では解雇決定以前に聴問会を開くなどといったことはない。
アメリカの解雇手続き(適法手続)については後で述べるが、実際には具体的な事例ごとに、どの程度の適法手続きが必要であるかを判断していくより方法がない。しかし少なくとも次の要件が必要であろう。すなわち、
- 教員採用時の契約事項に照らしてみてどうか。
- 州法の解雇事由に照らしてみてどうか。
- 判例はどうなっているか。
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- 広域人事の相違
アメリカの教育区は教育税などの課税権限をもち、教員人事についても学校理事会がその権限を持っているなど、地域の要望にも直接、こたえることが出来る利点がある。しかしその範囲は比較的狭く、なかには高等学校区といって一つの高校と数校の小中学校しかない教育区さえ存在するので、そこには自ずから長所・短所が生じよう。
これに対して、わが国では市町村教委といえども独立して人事を行うことは出来ず、内申権はあるものの、その枠を超えて県教委等によって広域的に行われる。従って一定の公教育水準の確保、教員資質の均質化等の利点があり、「適材を適所」の人事を行う間に教員解雇問題も少なくすることができよう。 しかしながら「無能力」教員のいわゆる「盥まわし」人事の弊害に陥る危険性もあることも常に注意する必要がある。
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- 多様化と基本
わが国は教育の画一性を自己批判し、ゆとりの時間の設定、新学科、選択科目の増加を計るなど教育の多様化を推進しようとしているし、他方アメリカは、余りにも多様化している現状を自己批判して基礎基本をより重視しようとしているといわれる。教員人事やその解雇についてもそのことが、大きく関わっている点にも注目する必要がある。そのいずれが正しいかといった性格の問題ではなく、いつも両者のバランスに充分、留意し続けることが肝要であると考える。
- 不服従と解雇
アメリカでは、「不服従」による解雇事例が非常に多い。例えば、ウエストバ-ジニア州で、ある小学校の一年生の担任が修士相当の資格を取ったので、契約条項から考えて給料は修士レベルの額に上がるものと期待していたところ、実際に受け取ってみると学士レベルに9年の経験を加味したものであったので、気が動転し直ちに児童に課題を与えて校長室へ行き、外出の許可を得ようとしたが、あいにく校長は不在で、しかも副校長も部屋にいなかったので、ますます気が動転して教室へ戻り、持ち物を集めて教室から出て、車で教委へ行って抗議した。 この間、学校を留守にしたのは約一時間であったが、これが「不服従」に該当するとして解雇された。さすがに裁判所は、なるほど彼女のとった行動は良識のあるものとはいえないが、他の三人の同僚が仕切った隣の教室におり、児童たちも課題を続けていたし、またわずかの時間で戻ってきているので「クラスを放置した」とはいえないとして解雇処分を取り消した。(モンタイス事件 1988年)
わが国では、この程度で解雇することはなかろう。
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- 教科主義と解雇
教科の専門職性からみれば、いわゆる教科主義は望ましいが、しかしそれは人事の融通性を狭めることにもなり解雇問題を起こしやすい。カンザス州で、社会科の免許を持っていた工業科の正式採用教員が7年間、力学メカニクスと金属の授業を高校で担当していたが、生徒数が減少したため解雇された。 その際、新たに別の社会科の教員が採用されたが、彼の副免である社会科の免許は全く考慮されなかった。
最終的には州最高裁判所は一審、二審判決を破棄して彼を再び採用することを命じたが、それにしても、わが国では始めから違った展開を見せるものと思われる。(ハウア事件、1988年)
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- その他
現在、アメリカの公立初等・中等学校教員に団体交渉権が法的に保障されているのは33州ある。さらに13州は法的保障はないが実際には、組合と教委との間で団体交渉が行われている。 その内容はワクナ−法に準じており、「賃金、勤務時間その他の雇用条件に関する事項」で、勤務評定、配置転換、昇進、解雇にまで及ぶが、そのうち苦情処理手続きが「交渉事項の心臓部」といわれている(相愛大学教授 太田晴雄論文『比較教育学』東信堂 1988参照)。
住民税にしても、わが国では地域によって余り差がないように、との傾向が強いがアメリカでは、コミュニティによって税金が違うのは、むしろ当然のこととされる。
そして教育も、まず第一は親の責任、それからコミュニティの責任といった観念が強いので教員解雇についても、それだけ要望は強いものになろう(田中秀夫『アメリカの社会と法』東大出版会参照)。
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1990年原作、1997年1月記 続く... 『42 判例にみるーわが国の不服従教員の懲戒処分』.
[43. 判例にみるーアメリカの不服従教員の解雇]