杉田荘治
はじめに
アメリカ連邦最高裁は最近(2004年6月14日)、『アメリカ国旗への忠誠の誓い』違憲訴訟
について最終的判断を下した。
とはいっても合憲、違憲といった実質的な憲法問題には踏み込まないで、訴えを起こした
生徒の父親には訴えを起こす資格がなかったとして、訴えそのものを無効としたのである。
しかしその結果、『忠誠の誓い』は違憲であるとして訴えたこと自体が無効となり、公立学
校において日常的に行なわれている“神のもとで”の入った『忠誠の誓い』の儀式は合憲
とされたのである。
この件の控訴審である第9巡回裁判所の判決については既に104『アメリカ国旗への忠誠
の誓い』違憲問題その後としてかなり詳しく述べたが、今回とにかくその最終判断が示され
たのであるから、その全体の流れをまとめておくことにしよう。
なお生徒の母親は『忠誠の誓い』に賛成であるので、今後全く別人が訴えを起こさない限
り、この儀式は合憲として定着していくことになる。
T 連邦最高裁判決の概要
前述のとおり本年6月14日に判決した。 それについては同裁判所自身の判決概要が示さ
れているが、法律的解釈に重点が置かれているので、それとともにLos Angeles
Times
など巻末に記載する資料などを参考にしながら筆者において要約することにする。
○ 8名の判事全員による「生徒の父親であるNewdowさんは保護者としての資格がない
から訴えそのものが無効である」と一致した判決である。
前審である第9巡回裁判所は父親として訴える権利があるとし、また『忠誠の誓い』そのも
のも違憲としていたので、これを事実上、破棄したわけである。
○ 父親としての資格に欠けるとした点については全員一致であるが、その内3名の判事は
『忠誠の誓い』は合憲が否かについて実質的に審議し判断すべきであるとする少数説で
あった。
○ なお最高裁の判事は9名であるが、そのうちの一人、Antonin Scalia判事は公然と『神
の下で』の文言の入った『忠誠の誓い』を積極的に支持することを表明していたので忌避
された。 忌避されるというよりは実際には自分からこのケースに加わらなかった。
【参考】多数説 Stevens,J Kennedy, Souter, Ginsburg, Brever
少数説 Rehnquist, O Connor,J, Thomas J
不参加(忌避) Scalia
U 生徒の父と母の保護者としての地位
生徒(女子)は当時8才の小学生であったので、父親のNewdowさんが訴え出ていたのであ
るが、母親のSanda Banningさんとは結婚していなかった。 母親は『忠誠の誓い』に賛成
し、後になって被告の教委側に加わっていた。 しかも「自分だけが唯一の保護者である」と
主張していたが事実、娘の健康、教育、福祉については彼女だけが「唯一の合法的な保護
者」としての地位をもっていた。
しかし父親のNewdowさんにも制限された訪問権:limited visitation rightsが認められていた。
娘の学校へ行って会うこと、医療について、また教育に必要な場合は相談にのることなどで
あるが、事実、彼によれば一月に10回ぐらいは会っていたとのことである。
そしてもし両親の意見が不一致の場合は娘に対して合理的なコントロールができるとされて
いたのであるが、今回はこの点が問題になったのである。 そして第9巡回裁判所はこれを
訴訟で認めて、その資格があったとしたが、最高裁は認めなかったのである。
V 公立学校における日々の儀式
既述の『77 違憲問題』を見てほしいが関係個所を下記しておこう。 すなわち、
今どこでも同じような朝の風景である。 例えばCalifornia州では州法で定められ、「公立の
学校では毎朝、教員指導による“忠誠の誓い”を斉唱して、その日の授業を始めなければな
らない」とされている。
○ その文言は次ぎのとおりである。
私はアメリカ合衆国の国旗に忠誠を誓う。 そして神のもとで、分けることができず、正義と自
由をもたらす一つの国、共和国への忠誠を誓う。
なお原文はU.S. Code. Title 4, Chapter 1, Sec. 4
THE PLEDGE OF ALLEGIANCE
I pledge allegiance to the Flag of Uninted
States of America, and to the Republic for
which it stands, one Nation under God,
indivisible, with liberty and justice for all.
しかし最初は"under God" はなかった。 1942年、第二次世界大戦の時、"my
flag"が入り、
その後"1954年6月14日、連邦議会が、この"under God"を追加したのである。 当時は、い
わゆる『冷戦』期にあったが“神の下で”を追加することによって無神論の共産主義の国とは
異なることを宣言しようとしたのであった。
○ 第9巡回裁判所によって、この『忠誠の誓い』が違憲とされたので、その管内にある9の州
の公立学校では少し省略された形で実施されていたが、今後は今までどおりの光景に戻る
ことになった。その生徒数は960万人、また州はCalifornia, Oregon,
Washington, Arizona,
Montana, Idaho, Nebraska, Alaska, Hawaii, Guam and the Northern
Mariana Islandで
あるが、これはアメリカで13ヶ控訴裁判所のうちで最大なものである。
W これまでの経過
○ カリフォルニア州サクラメントに住む救急医療専門の博士で無神論者であるMichael
Newdow
さんが「自分の娘が通う公立小学校で毎朝、教員指導のもとでアメリカ国旗に向かって、“神
のもとで”の文言が含まれている忠誠の誓いを朗読させられることは、政教分離を定めた憲
法に違反する」として提訴した。
○ 一審の地裁もその前のMagistrate Judgeも合憲と判断した。
○ しかし2002年 6月26日、三名の裁判官よりなる第9巡回裁判所(控訴裁)は、2: 1 の多数決
で、『忠誠の誓い』に“神のもとで”という文言が入っているのは、政教分離の原則に反して違憲
であるとした。
○ これに対して、その小学生が通うElk Grove連合教委やBush政府が上告した。 そして、連
邦最高裁が取り上げると決定した。Certiorarai: 裁量上告といわれる手続きで、わが国とは
異なり連邦最高裁が審議する必要があると判断した場合にのみ下級裁判所に対して事件移
送命令が出されるのである。
そして今回の判決になったわけである。
X その他
世論調査
○ ある最近の調査(Thekswchannel.com)によれば、『神の下に』を削除すべきかとの質問に
対し、 「削除する必要あり」 4952名 14%、 「削除する必要なし」 31535名 86%
○ 判決前の4月実施のギァラップ調査でも、「神の下で」の文言が必要であるとしたものが91%、
これを削除するとしたものが8%であった。
判決に対して
○ Newdowさんは「娘は私と一月に10日間会っている」と説明しながら不満を新聞発表している。
○ 教委や政府側は判決が憲法問題の核心に踏み込まなかったことにやや失望しながらも、
その政策が続けられることを評価している。
○ 全米教委協会は当然としてもアメリカ最大の教員組合であるNEAも『忠誠の誓い』を支持
していることは興味深い。
参照資料: Christian Science Monita(6/15/2004)、Associate Press(6/14/2004),
Legal Information Institue(6/14/2004)
事件名など .Newdow v. U S Congress 憲法 教育法: Constitional Law, Education
Law
313 F.3d 495 (9th Cir, 2002) 292 F.3d 597 (CA9 2002)
Supreme Court of the United States No.02-1624 2004-Decided
June 14, 2004
コメント
ご覧のとおり連邦最高裁は憲法問題としては避けて通ったが、実質的には“合憲”としたので
当分“神のもとで:under God”の『忠誠の誓い』は定着した行事として続けられる。妥当な結
論といえよう。 それにしても父親の“制限された保護者としての権利”をどのように認めるか
について考えさせられる判例である。 また母親がこの『忠誠の誓い』に賛成していることや
最大の教員組合であるNEAもこれを支持していることは参考になろう。
2004. 7. 25記
付記 2005年9月16日
その後、この父親(Michael A. Newdow)さんは訴えの資格のある他の親たちと一緒になって
再びサクラメントにある連邦地裁に訴え出ていたが、その判決がこの9月14日にあった。
そこではUnder God: 神のもとでの文言が入った『忠誠の誓い』は違憲とされ、先の第9控訴審
の判決に従うようにとされた。
これに対して、Schwarzenegger州知事は直ちに声明を出して「この教委は直ちに控訴するで
あろう」と語るなど再び論議が高まってきている。今のところ、この判決の影響を直接受けるの
は新たに訴えを起こした親の関係する3教委である。
【参照】 Los Angeles Times(9/15/2005)、San Francisco Chronicle同日号、 朝日新聞
(2005年9月15日)夕刊