13. 学校における服装検査[アメリカの例]

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杉田 荘治
服装検査 ・ 例 3

はじめに

    インターネット上に、アメリカにおける服装検査の事件が報じられている。この事件は、By Aaron
    Epxtein:Lexington Herald-Leader, WASHINGTON:AP,Johnson Rd/Leader,TX; A Reuter report,
    By James Vicini;Press Releases などが、 それぞれ報じているが、これらを杉田が総合、要約して
    紹介し、最後に若干のコメントを付記する。

1.事件の概要

    1992年、 アラバマ州の小学校で、2 年生の女子生徒、2名[黒人]が、他のクラスメイトから、「彼ら
    が私の財布から7ドル盗った」と先生に告げ口された。そこで、2名の生徒に対して別室で服装検査
    がおこなわれたが結局、銭は発見されなかった。
    この件について、最高裁判所は最終的に憲法違反ではないとした例である。 1997年 11月判決

2. 事実と経過

    1992年 5月 1日、アラバマ州 タラデガ の小学校で、ある生徒が先生に「自分の財布から 7ドル盗ま
    れたが、MがJに渡して、彼女の背カバンに、それを入れているのを見た」と申し出た。そこで、音楽の
    先生H.(女)とカウンセラM,(女)とが、女子生徒の MとJを便所に連れて行き、「服を脱いで、アンダーパ
    ンツを、かがとの処まで下げて出てくるように」と指示し、彼らはそのとおりにした。 しかし、銭は発見さ
    れなかった。
    そこで、二人の教師は彼らを校長室へ連れて行き、その後、再び便所で服装検査を実施したが、結局、
    銭は見つからなかった。

    そこで、生徒の両親たちが、合理的な理由がない、このような服装検査は「市民権の侵害であり、また
    プライバシィも侵された」として裁判所へ訴えてでたが、連邦の下級審はこれを却下した。控訴審も「教師
    やカウンセラは憲法上の一部分について免責である」として、この判決を支持した。 また、1992 年時点
    では、学校で生徒に対する服装検査の憲法上の許容範囲が明確ではなかった、との理由も挙げた。
    8 : 3の判決。

   今回、最高裁も、この判決を支持したが、いかなるコメントも反対意見も述べていない。

3. 問題点

    最高裁判所は、1985年に判例を残しているが、「学校教職員には生徒の服装検査について、大幅な
    弾力的権限が認められる」とするものである。しかし同時に「過度な侵害であってはならない」としている。
    今回、生徒側の代理人は、控訴審は、1985年のこの判例の趣旨に反している、と主張し、「凶器や違法
    な麻薬を所持したりするなど、差し迫った危急の場合に限られるべきである」と述べていた。また、「些細
    な生徒の違反行為の疑い、について教職員は、でしゃばった侵害行為をしてはならない」と主張した。

    これに対して、教師側の代理人は、控訴審は正しいとし、最高裁のコメントや反対意見を付さない判決を
    評価している。 なほ、人事上の経過としては、タラデガ教育委員会は、教育長の[この音楽教師は免職
    にすべき]とする勧告を退けて、[彼女は重大な判断ミスをしたが、違法な服装検査とまではいえない]と
    した。

4. コメント

*    今回のケースの先例となった、1985年の最高裁判決の「学校教職員には、生徒の服装検査について、
    大幅な弾力的権限が認められる」とすこことには賛成である。 しかし、周囲の客観的状況から、それを
    実施するに足る十分な合理的な理由、すなわち十分な疑い[Reasonable suspicion]がなければならない。

    ○ 校内へ凶器や違法な麻薬をもちこんでいるという十分な疑い。
    ○ 暴力行為が起こりそうな十分な疑い
    ○ 盗みや器物破損についての十分な疑い

     また、検査の方法が服装検査の目的と合致していなければならない。余分な部分まで実施することはで
     きない。 しかし、例えば、マリファナを見つけるために生徒の財布を調べることは許される。 1994年判決:
      In re Doe, 887 P 2d 645 ( Haw.1994) が参考になろう。

    ○ 従って今回のケースの、単なる一人の生徒の申し出に基づいて実施された服装検査( Strip search )
      には無理がある。また、日本では、服装検査の対象を二人の生徒に限定せず、教師がクラス全員に、
      その事情を説明して、生徒全員の自主的、協力的行動のもとに実施されるのが普通であろう。  国民
      感情の違いと考える。

    ○ 最近、日本でも生徒の凶器使用の事件が増加するとともに、服装検査の是非を巡っての論議が高まっ
     ている。 [生徒との信頼関係を損なわない]とは、よくいわれる理由であるが、しかし多くの生徒が、校内
     で[凶器使用の恐れがある]としてピグビクしている状況下にあってなお、学校の評判などを懸念して、服
     装検査を実施しないことは、かえって[生徒との信頼関係を失っている]ことも忘れてはならない。

    ○ 過度な競争社会からくる社会全体のストレス、生徒自身のストレス、教育環境の悪化をいかにして最
     小限度にしていくか、という課題は至難なことで あるが、学校がたんに教訓的、督励的な場だけではなく、
     弱者にも常に愛情が注がれているという平素の雰囲気づくりが大切である。これは二律相反する難かし
     いことではあるが、考えてみれば我々は、父母の[厳しさと優しさ]、祖父母の教えと愛情、社会の躾と見守
     り、などの中で育ちまた育ててきたはずである。 学校という環境下で教職員に求められる原理もこれと同
     じであろう。

     学校における服装検査も、その原理が十分に働いている教育的環境のもとで実施されることを望みたい。
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  1998年9月記      無断転載禁止