杉田荘治
はじめに
最近(2003. 12月)、Washington Post紙は「1975年連邦最高裁ゴス判決以来、却って公立学校の
教育が悪くなった。生徒や親たちが「居残り」というような、ちょっとした懲戒に対しても『適法手続き』
を要求するようになったために学校がその対応に忙殺され、本来の教育が阻害されるからである」との
論説を発表した(12/29号と12/30号)。
そこで先ずその論説の概要を述べ、その後、根拠となった『ゴス』判決について詳述することにする。
T Washingto Post紙から
公立学校生徒の懲戒について、『適法手続き』権利を制限すべきである。
2年前、ヒューストン独立教育区のある学校で17才の生徒が車椅子から引きづり降ろされてレイプされ
た事件があったが、この件を巡った論争が起きている。 すなわち、学校が若者を社会に役立つような
人間にしようと努力しているのに、裁判所が生徒の権利を尊重すしぎているのではないかというのであ
る。
この11月に「法が公立学校教育の土台を壊しているのではないか」という公聴会が開かれた。そこでは
1960年ー1992年のすべての控訴裁判所の判例が提示されたが、生徒懲戒について変化が現れてい
る。 すなわち、1970年代の中ほどまでには「表現の自由」や政治的主張に関する生徒の懲戒のさいは
『適法手続き』は認められてきたが、連邦最高裁『ゴス』判決が1975年に出てからは、ちょっとした
懲戒についても生徒は『適法手続き』、または『適正手続き』:due process rightsを要求する
ようになった。
今や校内暴力、凶器所持、麻薬、その他一般的な非行事件に対する懲戒の場合でも『適法手続き』を
要求し、更には居残り、僅かの時間、授業を受けさせないこと、落第、週末のバスケットボールやサッ
カーの試合に参加させない、といったようなことにまで及んでいる。 California州やNew York市で著し
い。そのことは結局、教育環境を侵食するようなもので、都市部の学校や貧困層の地域では非行が
多いが、その懲戒を巡って、この『手続き』が足かせとなり教育環境を悪化させる悪循環を生んでいる。
金属探知機、監視カメラ、完全なロック、武器をもった警察官の校内常駐などの方法は学校を要塞や
刑務所のような所にするものであるが、そのような学校レベルの努力では限界がある。裁判所が生徒
の権利をここ数十年、拡大してきたところに問題がある。 毎日、起きるようなその日、その日の軽い
懲戒にまで適法手続きを認めるようなことを見なおす必要がある。
今、教委は、ちょっとした違反行為も見逃さないような『ゼロ・トレランス』:
zero tolerance政策を採用し
ているが、このような生徒の権利を制限することは生徒自身の幸せに通じるのである。
第一、私立学校には『ゴス』判決は、そのままには適用されない。なぜならば、そこでの懲戒は一種の
契約から出ているからであるが、公立学校だけが不利益を受けることになる。 そのため富裕な親は
は公立学校を敬遠し私立学校へ子供たちを行かせる。 『適法手続き』を尊重するというが、一体誰
が不利益を蒙るのか。 彼らは公立以外に選ぶ道がないのである。 Richard
Arum記
【註】 『適法手続き』とは刑罰を科すなどの場合には厳密に求められるが、その法的根拠は合
衆国憲法修正第14条である。 その関係個所は「.......正当な法の手続きによらないで、
何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。...」である。
【参考】体罰についても『インクラハム』連邦最高裁判決の説明で述べたが、それも参考にしてほしい。
その関係個所を下記する。
体罰を行なう前に予め、正式の手続きとしての弁論の機会を設けるべきであるとされれば、申し
立て人は、どんな体罰であっても、またそれがいかに妥当なものであっても、また極めて軽微な
ものであろうとも、その手続きを要求するであろう。このように極めて広い憲法上の要求を認め
れば、それは教育の手段としての体罰には大変な重荷となろう。
口頭弁論ーたとえそれが非公式なものであろうとも、時間がかかり人手もいり、正常な学校の教
育活動にとっては大変なことである。
U 連邦最高裁『ゴス 対 ロペッツ』判決
1975年1月22日判決 U.S. Supreme Court, Goss v.
Lopez, 419 U.S. 565(1975)
1. 事件の概要
Ohio州Colubus地区の公立高校生9名が、1971年2月から3月にかけて最大10日の停学になっ
たが、処分に先だって、いいわけなどを事情聴取される機会は与えられなかった。
その一人は授業が行なわれていた講堂でデモ行動をしていたが、校長の退去命令を拒んだので直ち
に停学になった。 またある生徒は彼を講堂から連れ出そうとする警察官に体当たりの攻撃を加えた
ので直ちに停学になった。 その他の4名についても同様な経過である。
また、ロペッツは学校のランチルームの器物が破壊された混乱に巻き込まれて停学になったが、彼は
「自分は破壊行動には加わっておらず、全くの傍観者である」といっているが、この事件の記録は残さ
れていない。 その他、ある女子生徒は他の高校生のデモに参加し逮捕されたが、翌朝告訴されずに
釈放された。しかし登校する前に10日間の停学になった旨の通知を受け取った。 また9番目の生徒の
停学についても記録は全く閉ざされたままである。
2. オハイオ州法 3313.66節
この規則は校長に生徒の非行によって「10日間までの停学と退学」の権限を与えていた。 その
場合、校長は24時間以内に親に通知し理由も述べなければならないと、とされている。 そして退学に
ついては、その後、教委による事情聴取の機会が与えられ、場合によっては復学も可能であるが、停学
についてはそのような救済規定はなかった。
3. 一審判決
オハイオ州南部地区連邦地裁で3人判事による審理が行なわれ、次ぎのように判決された。
○ 緊急の場合を除き違反行為の事実、停学の予告と24時間以内に停学手続きを進める旨の通知
をする必要がある。
○ 停学にした後、72時間以内に生徒も出席して事情聴取の機会を与える必要がある。 その際、違反
行為の具体的事実、生徒に防御の手段与えることが必要である。
○ しかし本件についてみると、このほうな『適法手続き』は与えられなかった。 したがって州法は憲法
違反である。
そこでこの判決を不服として教委・学校側が上告したのである。
【註】前述のように3人の判事によるものは、その一人は控訴裁判所判事であるが、その際は直
ちに最高裁へ上告することができる。 この点、わが国とは異なる。
4. 最高裁判決
○ 10日程度の停学は生徒の人生にとって重大なものである。
停学によって教育を受けるという利益が一時的にせよ拒否され、また本人の評判という「自由」
の利益も損なわれる。
○ そこで基本的な要請としては停学以前の何らかの通知と何らかの事情聴取が必要である。
懲戒権者は、ほとんどの場合、信頼できる手段ににって職務を遂行しているが、それでも時々、
事実を確認しないままに他人の報告やアドバイスによって処理することがある。 その際、誤り
を犯す危険性がないとはいえない。
○ しかしすへての停学について丹精こめた事情聴取の機会を与える必要はない。 しかし
同時に生徒に違反行為について反省させ、今後不正はしないことを誓わせながら本人の
話しも聞いてやることも大切である。 そのような機会が全く与えられず両者の間にコミュ
ニケーションがない、というのも奇妙なことで、つたない生徒指導のあり方であるといえよう。
○ 従って10日間やそこらの停学処分についての『適法手続き』とは、生徒に口頭または文書
で違反の事実を示し、もし、それを生徒が否認すれば、当局のもっている証拠を示して説明
する必要があり、また生徒側に釈明の機会を与えるものでなければならない。
○ 一般的には、カウンセラーと相談すること、不服があれば反論すること、学校側の証人に反
対尋問すること、自分の釈明を証明するための証人を確保することなどが考えられる。
○ なお、簡単なしつけのための停学については、ほとんどこれを問題視する必要もなかろう。
以上のように理由を述べ、さらに他人や器物に危害を与え学習環境を脅かすものなど、例外的な場合
についても言及しているが骨子は上述のとおりである。 そして本件のどの停学についても事実は不
明瞭であり、州法も憲法違反であるとした。 よって一審判決に同意しそのように確定した。
パウエル判事は多数説に反対し、それに主席判事、グラックマン判事、レンクィスト判事が加わっ
た。 従って5 : 4の判決であった。
パウエル判事に代表される少数説の理由は、司法による教育への介入の道を開く惧れがあり、
1日の停学といえども『適法手続き』を求める惧れが出てくることなどが挙げられた。
コメント
ご覧のとおり『ゴス』判決は「10日程度の停学」については『適法手続き』が必要であるとしたので
あったが、その後、この判例は一人歩きして、例え「1日の停学」でも、また「居残り」のようなちょっ
とした懲戒についても『適法手続き』を求めるような風潮を生み出してきたところに問題がある。
その結果、教育悪化の悪循環をもたらしたのでWashington Post紙のような「権利を制限すべき」
との主張になっているのである。
停学のみならず生徒の懲戒について、生徒の権利尊重はよいとしても、実態は必ずしも判例の趣
旨のようにはいかないという教訓を示しているといえよう。
2004. 1. 5記