追記 : その後の動き
杉田 荘治
はじめに
人種問題は、やはり難しい。 ボストンの『通学バス』の問題は、その典型的な例の一つであるが、市当局は
これを廃止しようとしている。 このことについては既に『75. 公立学校でも白人の親たちから“逆差別”
との訴え』で述べたが、いよいよ廃止の動きが現実味を帯びてきたので、最近のBoston Globe(10/9/
2003)号その他後述の資料を参照して、この問題を要約しておこう。
T これまでの経過
1 1974年に連邦地裁は人種差別撤廃の判決を下して「学校の人種の統合」により、生徒は通学
バスで違った近在の学校へ通うことを命じた。
そこで市教委は、それに沿った『通学バス』を1975年から始めたが、数年後には溜まった感情が爆発
しそうになり新たな人種問題になってきた。
2 そこで1989年に、市教委は市内を3個の通学範囲に分け『人種』と親の『学校選択』希望の両
方を考慮した『制限された選択』:controlled choice方式を採用した。なお高校は1ブロックである。
しかし10,年後に親からの訴訟が裁判所に提出されることになった。 すなわち1999年7月20日、白人
の親たちは「そのような政策の犠牲になって、自分の子供たちが近くの学校へ行けないようになり、こ
れは白人に対する人種差別である」と主張したのである。
3. そこでまた2000年の秋から新しい制度になって、人種は考慮しないこととし、そのかわりに生徒の
その学校への距離はどうか、兄弟姉妹についてはどうか、またくじ引きなども要素にした現在のような方
式が採用された。小学校、中等学校の入学について、市教委は、定員の半分は、生徒が歩いて通学
できる範囲: walk zones から確保し、残りの半分は近在の学区からの生徒を受け入れるという
『入学方式』である。
U 現実
1. 理論的には『通学バス』方式は友情をはぐくみ、学校が互いに協力し、人種が混在することによっ
て人々が交流し自然に環境も良くなると考えられたが、現実はその逆である。
「スクールバスに乗る。 40分もかけて市内の半分ぐらいを通り抜けて学校に着く。そこは黒人だけだ。と
いうのは白人は余りそこへ行かない。 そして学校では1日中、いやがらせを受けながら座っていた」とあ
る白人は回想している。 またある人は「教育の悪い学校の階段を黒人生徒のあざけるような凝視を受け
て上がったことを思いだす」と語った。
このことは黒人生徒にとっても同じことがいえる。 すなわち、激怒した白人の母親たちがバスに乗った黒
人生徒たちに向かって大声を挙げてののしっている。黒人生徒たちは隠れるようにして、おどおどしながら
座席に座ったままうつむいていたと、ある黒人は回想していた。
V 今後
市教委の委員長は「今、新しいプランを作業グループが練り上げているが11月中旬までに作る。
そして来年1月から3月の間に公聴会を開く予定であるが、再び生徒が歩いて通学できる制度へ
戻す案になろう」と言っている。 Thomas Menino市長も、この戻しの方針を支持し、学校選択の余地を
残しながら家族が市内に留まるようにすることが必要である、と語っている。
議員たちも再選される時期になったので、例えば二つのブロックで2マイルの範囲を提案する者などがあっ
たりして原則、“戻り案”を支持する者が多い。他に15ないし22ブロック案も有力である。
丁度、財政も厳しくなってきているが、『通学バス』を廃止することで5,500万ドルの削減にもなるし、また
市内に今後5 - 6年のうちに5校が新設され、それらは生徒が住んでいるところで良い教育を受けさせる方式
になるであろう。 都市部で歩いて通学できる範囲で良い教育を、ということで、これは白人にも黒人にも良
識の勝利とみなされるであろう。 『通学バス』方式で失敗しても、それは“偉大な失敗だ”と考えわけである。
連邦政府や裁判所が何と言っても社会は、そのように求めている。
参考 市内の公立学校では白人生徒が減少してきている。 すなわち、
1975年には生徒数、約85,000名。 その内訳は白人49%、 黒人39%, ヒスパニック9%、 アジア系3%
1999年には生徒数、約83,000名。 その内訳は白人15%, 黒人49%、 ヒスパニック26%, アジア系9%
その後も白人は私学や郊外へ逃げ出して、減少している。
【参考資料】CNN Boston Bureau Chief, LIBERTARIAN ROCK, Harvard University:
The Civil Rights, Press
Release (8/29/2003)
コメント ご覧のとおり。理論的には人種を混在させる『通学バス』方式は優れているのであろうが、現実
は却ってその緊張感を高め失敗する厳しい例である。しかし人種の多様性尊重と良い学校選択
の親の願いを充たすために折衷案が模索されていくものと思われる。
2003. 11. 8記
追記 (2003. 11. 27) その後の動き
ボストン市の『通学バス』問題は、その後、予想されるように廃止への動きになってきている。すなわち、
Boston Globe/Associated Press(11/26/2003)号によれば、
今、市教委は広範囲に広がった『通学バス』を終結させる原案を作っている。 それによって輸送費は2,500
万ドルの節約になろう。それは学校予算の15%に相当するし、また親たちが子供を近くの学校へ入れること
によって、もっと教育に協力するようにもなろう。 12月にこの原案が発表され、公聴会が開かれ教委で採決
されることになろう。
1974年に連邦地裁の判決が出されてから、幾千という白人の親が自分達の子供を圧倒的に黒人の多い
Roxbury, Dorchester, Mattapan地区への学校へ通わせることを拒んできた。 そして私学や教区学校へ
やったり郊外へ移住したりしてきた。 今や白人小学生の2分の1は私学へ通っているが、これはアメ
リカの大都会のなかで最も高い率の一つになっている。
1970年代は通学バスに乗った黒人生徒は、白人地区を通過するとき、石やビンを投げつけられたが、今
ではボストンの人口は黒人、ラテン系、アジア系が非常に増えて1970年の中頃では48%であった
ものが市内の62,000名の公立学校生徒の86%が彼らによって占められるようになった。
このような変化に対応するために『通学バス』廃止への動きになっているのである。 「全米的にみても
学校は“人種分離”の方向を戻るであろう。 アメリカ北部の地域で人種統合の先導的役割を果
たしてきたボストンは、今やない。 両極に分離されたのであるが全米的にも、これが大勢になっ
てきている」とHarvard学校人種差別廃止プロジェクト部長Gary Orfiedさんが語っている。