259 アメリカの公立学校での過度なテスト競争は、
   いずれ行き詰まる


杉田荘治


はじめに
    アメリカ(U,S,A.)の公立学校では、ブッシュ政権時代にはNo Child Left Behind Act, すなわち
   [一人たりとも落ちこぼれをつくらない教育改革法]を創って競争させ、教育効果を挙げるように
   計画されたが、いよいよその最終年次である2014年が近づいてきても成果は今ひとつであり、
   大きな課題を残したまま終わろうとしている。 とくに学力不振校、[改善を要する学校]といわれ
   るが、それらを置き去りにする惧れが大である。

    最近わが国でも、大阪府に端を発した教育改革論が大きな教育問題になっている。
   アメリカにおけるこの問題について筆者はホームページの各編で述べてきたが、今その参考に
   供するため、これらを要約し、それに折々コメントもはさみながら論を進めることにしたい。

       アメリカの教育改革法:No Child Left Behind Act とは

    この法案 2001年、上院91: 8 で、6月14日に、下院は354: 45で、5月23日に可決された。
   従って超党派的である。
これを2002年1月14日にBush大統領が署名して法律となった。

 
    全ての公立学校の3年生から8年生(中2)の生徒に、毎年州が実施する英語(Reading) と
     数学のテストを受
けさせること。 各州が実施するさいは事前に連邦教育省と協議すること
   ○ 高校生については、在学中、1回実施する。
   ○ すべての公立学校で全州、全米レベルで比較可能な結果を用いて、学校通知箋:Report
     card を
作ること。

   ○
 [低学力]の公立学校へは、連邦補助金で支援する。 しかし、2年続けて成績不振な学校
     では、
生徒が他の公立学校へ転校することを認める。  もう1年、[成績不振]の公立学校、
     つまり3年そのような状態がつづいた学校へは連邦補
助金を打ち切る。そしてチャーター・スクー
     ルにするか、州が強制的にその学校を引き継ぐか、或いは教員を入れ替えて再出発させる


   ○ 州の標準テストで向上したことを% で示すこと。 そして12年後、すなわち2013-14年には、総
     て
の学校で総ての生徒が数学とリーディングで『良』レベル: proficient に達すること。

    しかも、
   ○ 学校全体、教委内全体でもそうでなければならないが、その内訳としての小グループでも
     そうであること。すなわち、人種、貧しいなどの経済的背景、英語が不自由なグループ、身
     体的不自
由な生徒などの小グ‐プの結果も公表するものとする。

   ○ その年次毎の内容は、基礎(basic)、良好(proficient)、上級(advanced)として区分し、しかも
     卒業(進級)の%、教員の資質・資格、テストを受けなかった生徒の%、『改善を要する学校]の確
     認
も確実に実施すること。。

   ○ 2005 - 06年度末までに、教員の具体的資質向上策を策定しなければならない。 それは
     目に見える形で専門事項について証明されるものであること
。    としていた。

  
成果
   ○ 
ある程度、成果は挙がってきているように思われる。 というのは、全国統一テ
     ストともいえるNAEPテストは昨年(2003)年の初めに数学とリーディングについて実
     施されたが、リーディングはほぼ現状維持であるが
、数学は1990年以降で最高
     である
。 また白人、黒人、ヒスパニックともに1990年と比較しても向上している。

   ○ 一例 Maryland州・Ocean市小学校の快挙
     この小学校は幼稚園前の教育から4年生までの学校で、したがって
小学校という
    よりは幼年
学校というべき公立学校であろう。イギリスにあるInfant schoolsという
    公立学校
と同じである。 この学校の3年生と4年生の184名の生徒全員が、昨年
    春に実施された州標準学力テストのリーディングと数学で「良」以上の得点を取った。 
    100%である。これはメリーランド州では初めてのことであり、しかも「優」の成績の
    者が78%もある。これは州で第1位である。
 
   ○ 
2008年1月7日 ホワイトハウス発表、これは2007年度の各州からの報告をまと
     めたものであるが、それによれば、
    ・ リーディングでは4年生は今までの最高の成績であった。
    ・ 数学は4年生と8年生(中2)がそうであった。
    ・ 白人と黒人、ヒスパニックとの学力差が縮まった。

   しかし同時に問題も起こってきていた
   ○ 前述したように、この改革法はすべての生徒または、人種などの小グループごとの
     成績を連邦政府へ報告することを義務付けている。 そのため一つでも、そのグルー
     プの成績か゛不良であれば「改善を要する学校」に指定されて、ペナルティを受けた
     り、生徒を他校へ転校させたり、公費で個人教授を受けさせるなど、いろいろと面倒
     なことが派生してくるので、このような生徒を多く抱えているような地域や教委から
     の不満が高まっていた。

   ○ そこで
適当に州の基準を引き下げることも起こってきている。
   ○ 
州の管理下におく例や閉校となる例も増える。 第85編を見てください。

   ○ テストの重層化に対する批判
     例えば、コネチカット州は今まで、州独自のテスト(Connecticut Mastery Test)で、
    4年生、6年生、8年生及び10年生に毎年、テストを実施して効果を挙げている。 そ
    れを連邦が求めるように毎年、3年生から8年生までのすべての生徒についてテスト
    を実施しなければならないとすれば、3年、5年、7年生に新たに実施しなければなら
    なくなる。 
その財源をどうするか。 連邦から支給されのは7,060万ドルでしかないが、
    実際には1億1,220万ドルかかる。 したがって
4,160万ドルを州が余分に支出しなけ
    ればならず無駄遣いである。 これは違法であり違憲である
。 (この項: Washington
    Times, 4/06/2005号)


   ○ 実際の転校受け付け風景
     ワシントン市では低学力校から他校への転校手続きが2004年8月9日から始められ
    たが、第一日目に手続きした親は非常に少なかった。前述したように公立学校の半分
    以上の学校で、生徒数としては33,000名の生徒に学力の高い学校へ転校する権利が
    与えられているが、実際にはラッシュ現象は起きていない。

    ワシントン市の北西部にあるユニオン駅近くの二階建ビルディングには、二人の学校
   担当官がその107番ルームのテーブルの前に座って、膝の上で操作できるコンピューター
   と山と積まれた申し込み手続き用紙を用意して待ち構えている。 しかし第一日目には
   僅か15名しか申しこみがなかった。 最終期日は8月21日   親たちは2週間前にメー
   ルで「転校できる」と知らされていた。 
    それは前に述べたように自分たちの学校が今年4月に実施された3年生から11年生ま
   でのテストのリーディングと数学でも再び失敗して「改善を要する学校」に指定されてい
   たからである。

     
それは何故か
     1. 低学力校といえども、すでに子供たちはそこに慣れ親しんでいる。
     2. 転校手続きの詳細を親たちはよく知らない。 シングル母親のなかには16時間勤
      務の者もいたりして、自分たち自身の生活も管理できない者も多い。
     3. 複雑な教育政策そのものをよく理解できない。
     4. 学習クーポン券を利用して私学への転校を考えている。
     5. 人種の問題もからんでいよう。

  ○ 
リーディングと数学に時間を割くため、他の教科を削減したりしてカリキュラムを狭める。

  
表T リーディングと数学に時間を割くため、他の教科を削減した状況(全米) 2005年5月

 教科    全く減らさないか、またはごく僅か 
 しか減らさない教委  %
 幾分またはかなり 
 減らした教委 %
 不明 %  
 社会科            69       27     4
 理科            74       22     3
 美術            77       20     3
 体育            88       10     2
 その他            68       18    14


  a. [改善を要する学校]では学校は興味がなく、退屈なものになってきている。それは丁度、
   ステーキとポテト以外のメニューがないようなもの、またバイオリンの練習で毎日、スケール
   だけを繰り返しているようなものであり、バスケットボールでいえばラインアップの練習だけ
   で、その癖がついてしまってパワーアップの実力がつかないようなものである。

  b. それでいてリィーディングと数学の成績が向上しているかといえば、必ずしもそうではない。
   例えばカリフォルニア州で州のテストを連邦政府の求める新教育改革法:NCLBに拠って
   実施してみたところ、数学では「良好」であったものは17.4%あったが、リィーデングでは
   14.9%しかなかった。


  c このように特に[改善を要する学校]では、リーディングと数学の授業が増え他の教科は減
   少してきている。
 ある学校では2科目は3倍になったし、またあるところでは、2科目以外の
   教科に充てられるのは一日のうちに55分しかないところもある。
   今や健全なカリキュラム:“a well-rounded curriculum"は失われて狭いカリキュラムになっ
   てきている。  その理由はリーディングと数学で連邦政府の求めるテストで成績が挙がらな
   ければ“罰”を受けるからである。


    
 財源不足  例えば、

    1 連邦議会は2003年、222億ドル支出したが、それは昨年度より32億ドルの増である。
     しかし例えば、Massachusetts州では117百万ドルの割り当てになるが十分ではない。し
    かも今後新しいシナリオのもとでは一体、いくら受け取ることができるのかはっきりしない。
   2 このように多くの州は莫大な予算をつくらなければならないだろうと、不平を唱えている。 
     例えば、New Hamphire州では連邦から生徒一人当たり77ドル受け取るだろうが、しか
     しその総ての要求に応えるとなると、一人当たり575ドル必要となるであろうといってい
     る。
     従って州予算のカットや教員の解雇の問題を引き起こす懸念も出てこよう。 
     Massachusetts州はまだよいほうである。 というのは1998年以降、そのMCACは連邦
     の基準に合っているし、過去10年間、教育予算を何百ドルも増額してきたからでである。

    ○ 特に片田舎の学校の苦労は大きい。
      例えばNorth Dakota州の広い校区の小さな片田舎の学校が『改善を要する学校』に
     なれば、生徒を何マイルも離れた学校へ転校させなければならないが、これが悩みの
     種である。  教員についても同様。小さな学校では多くの教員は4ないし5教科を担任
     し、その準備に追われて再訓練も受けられず、習熟した力をつけることは非常に困難で
     ある。 Nebraska州やVermont州でも同じような状態である。  このように全米的な反
     抗が起こるかもしれないと、ある有識者がいっている。

                  オバマ政権も苦慮している

     『Race to the Top』連邦助成金  文字通り[トップにむけて競争]である。
    第229編で述べたように、アメリカ(U.S.A,)のオバマ政権は教育振興策として43億
   5,000万ドルの特別助成金: Race to the Top Grant を準備して、その要件に合った
   州に交付してきたが、その最終分として2億ドルが、昨年(2011年)12月末、7州に交付
   された。

    しかしHawaii は前述のように7,500万ドルの交付を受けていたが、その後の改善が
   不十分であるとして返還のおそれがある。(New York Times, 2011年12月23日号)
   またNew York州も約束した改善をしないと7億ドルを返さなければならないといわれる。 
   これは州の教育予算の4%に相当するので州知事は州教員組合と協議している。(The
   Wall Sreet Journal, 2012年1月8日号)

    連邦政府は新たに5億5,000万ドルの助成金を準備しているが、今まで交付されな
   かった州を中心にするが、
しかしその額の半分以上は州を通さずに地方教委へ直接
   交付する
ようにするとダンカン教育長官は表明している。 
    このように『Race to the Top』連邦教育助成金の効果は余り挙がっていないように
   思われる。

おわりに
    オバマ大統領も今年(2012年)1月24日の一般教書でもRace to the Topに余り関
   心を示していないが、しかし閉校となる学校が今後、数千になるであろうといわれる
   ように競争は緩和されるとも思われない。 ましてや国民性の違いやデリケートな国
   民感情のわが国にあって過度な競争は、いずれいき詰まることを認識すべきである。 
   緩やかな教育改革を模索することが適当で
あろう。

 平成24年(2012年)3月6日     無断転載禁止    元公立・私立高校長