杉田荘治
はじめに
筆者は昭和58年(1983年)4月、初めて『学校教育と体罰』という本を著した。東京にある学苑
社という小さな出版社からである。 今、読み返してみると、もう少しましな内容をという思いが
あるが、しかし当時としては精一杯であった。 しかし、しばらく経ってから日本教育新聞社が
書評を載せてくれた。感謝している。 最近その新聞社の関係者に会って、それを思い出しだ
ので、それと又いくつかの関連する事項について述べることにします。
1 日本教育新聞 昭和58年(1983年)8月15日号の書評
学校教育と体罰 日本と米・英の体罰判例 愛知県立松蔭高等学校長 杉田荘治 学苑社 定価 1,200円 B6判 172ページ |
書評
児童生徒に対する体罰は、教育関係者で常にその是非をめぐる論議がたえない問題である。
本書は、こうした教師の体罰問題を最近の日本とアメリカ・イギリスの事例及び判例をふまえて、
学校教師の児童生徒に対する体罰は、どうあるべきかを論じた興味深い書である。
著者は大学で法律学をまなび現在高等学校の校長であるとともに日本教育法学会の会員とし
て活躍し、[英米とわが国司法制度の比較]などの研究もある。 いわば教育法等についての専門
家でもある。 それだけにこの書では、わが国はもとより最近の米・英における体罰判例資料が随
所で紹介され、著者などの見解で体罰の是非が論ぜられている。 しかも各資料はできるだけ客
観的、中正な立場から、著者なりの研究分析の方法をとりながら整理されており、そこには従来の
法解釈とはニアンスを異にする教育者としての立場からの著者独特の解釈と見解を開陳している。
そのことが読者に自分の立場で体罰問題を考えさせる契機を与えてくれる。
著者は子どもに対する体罰はケースによってはやむを得ないとしう立場をとる。 しかし、親がわ
が子に対する体罰と、教師が学級の子どもたちに対する体罰には質的な違いがあり、とりわけ教師
は“教える者と教えられる者”という立場と、教師と子どもの“信頼関係の確立”を忘れてはならない
と、体罰前の教師のあり方の大切さを指摘している。
本書は、序論で[体罰事例と体罰の是非論]について考察し、第一章で[親の代行と教師の体罰]
の問題にふれ、とくに“教師の体罰の限界”および“親の懲戒権・教師の懲戒権”の問題に触れ、
児童生徒に体罰が望ましいか、否かを判断する場合の基本条件等を明らかにしている。
第二章から第四章にかけては日本、アメリカ、イギリスにおける体罰についての考え方、違法な
体罰判例を紹介しながら論じ、最後に[体罰関係法令]と[世界各国の体罰状況]等を愛知県高等学
校の160人の海外調査活動の結果をもとに紹介している。
[体罰は教育の放棄である]といった、ある意味で教育界では子どもへの体罰はタブー視されて
いるだけに、本書が提起している教師の体罰のあり方論は、再び体罰問題を考えさせる契機をなす
ものと思われる。 しかも各論が具体的に展開されているだけに現場教師には参考になろう。
2 アメリカ国会図書館も所蔵している。
すなわち、例えばGoogle でThe Library of Congress Online Catalog
を出して、その欄を利用
すればよい。
3 国内の54大学・学部図書館が所蔵している。 名大 中央図、名大教 、
名大法
、愛教大図 、 愛大名 、京大教育 、 京大人環総人 、 金大 、 九大 などである。
そのうち名大中央図書館は二冊所蔵していて、そのうち一冊は学生専用の書架にある。
しばらく前、出かけていって確認したか゛、かなりすき切れていた。 それは乱暴に取り扱われた
結果であるというよりはむしろ学生たちによく利用されているためだと思われた。
杉田の故郷は富山市。 歩兵35連隊が駐屯したが、その軍旗は旗地がなくて縁だけの軍旗
であった。 このことは幾多の戦場に出陣し、その先頭にあって戦ったことを現している。 わが
郷土の人たちはそれを誇りにしていたが、そのときそのことを思いだした。
平成24(2012年)年3月2日記 無断転載禁止