249. 全米学校安全センター訪問記


杉田荘治


はじめに
    最近あるOB教員から[アメリカの学校安全センターとはどんなことをやっている
   機関ですか]と聞かれた。 最近の事情については知らないが、筆者がかなり以
   前であるが、その設立間もない頃に訪れたことがあるので
それを中心にして答
   えた。 しかしそれも多くの人に参考になるだろうと考えるので以下、訪問記を述
   べることにします。
 もっとも詳細は当時、1985年、学事出版『月間 高校教育10
   月号』45頁に『全米学校安全センター訪問記』として掲載されているので内容的
   にはその一部に若干追加して述べることになる。

     全米学校安全センターとは

 
    全米学校安全センター:National School Safety Center: NSSCであるが全米青
   少年問題研究所といってもよかろう。
 California州のサクラメントに在る。

    4165 Thousand Oaks Boulevard, Suite 29C Westlake Village California 
    
91362  805/373-9977   805/373-9277 FAX   

    このNSSCは1984年5月に開設された。 すなわち、当時のレーガン大統領が連
   邦治安教育省に対して、
青少年問題を統合するNSSCを設立して、青少年犯罪、
   暴力行為、薬物濫用、ずる休み、施設破壊
行為などの緊急の教育問題について、
   全米的、総合的に対策を立てるように指示し、それを受け
て設立された機関であ
   る。 従って職員は教育関係者のみならず、警察職員、法関係者なども含ま
れて
   いる


     私は現職校長の時、設立間もない1985年8月に私費で単身サクラメントに3泊
   し同センターを訪問して、Stephen
所長や職員と懇談し関係施設も見学した。

                       訪問記

    事の発端は1985年4月のある日、勤務校である愛知県立松蔭高校にNSSCから
   『合法的社会の学校安全』という小冊子が送られてきたことから始まった。
 それは
   当時、私は全米教育法学会NOLPEの会員であったが、その冊子は三万部印刷し
   て全米の弁護士、裁判官、教育関係者、大学、図書館などへ無料で送ると書かれ
   てあった。 そこで早速、この夏休みを利用して訪問することにし、、県教委の承認
   も得て単身、出かけたのである。  

    7月24日(水)午後5時、日中の暑さがまだ残るサクラメント空港に、小さなプロペ
   ラ機から降り立ったが、
そこにはNSSCから派遣されたジュリアン先生が迎えにきて
   くれていた。 もちろん彼とは初対面であったが旧知の人のように人なつっこく迎えて
   くれ直ちに宿まで送られ、そこで3日間にわたる詳細な訪問日程を示された。

    『細部は一任します』旨の手紙は出していたが、これほど詳細なものとは思っても
   いなかった。 まず滞在期間中のホスト役はジュアン先生であることに始まり、市や
   教育区の教委訪問
四つの高校訪問、センター所長主宰の[学校管理研究会]傍聴、
   カリフォルニァ大学の二ノ宮先生主催による野外パーティ参加、その他7月27日(土)
   9時サクラメント空港見送りに至るまで、こと細かに書かれてあった。

    その日程に同意する旨を伝えたが、すぐその日の夜の二ノ宮先生宅における野外
   パーティにジュリアン先生と参加することになった
。 すでにパーティは始まっていた
   が、庭のあちこちを移動しながら近所の人たちとも日米の教育問題について話あっ
   た。 たまたまこのパーティにはご当地でホームステイしている桃山学院大学英文科
   の学生たち約20名も参加しており賑やかであった。 その途中で紹介されたので[青
   少年問題について勉強したり意見交換したりするために夏休みを利用して当地に来
   て明日からNSSCを訪れるところです]とスピーチした。


        いよいよNSSCへ

    翌25日[木]朝、ジュリアン先生に迎えにきていただきNSSCへ出かけた。
    そこで予想以上の暖かい歓迎を受けた。たとえば秘書室の窓ガラスに[あいさつ。
   かんげい、すぎたさん]と墨筆書きの紙が貼られていたり、入り口あたりで一人のス
   タッフからプレゼントも頂いたりしたが、はるばる日本から一人で訪ねてくれた一校長
   を歓迎しようとする気持ちがひしひしと伝わってきて感激した。


    まず最初に、ジオーエン法執行部専門官からNASSCについての概要説明を受けた。
   内容は前述のとおりであり、また詳細は前記『月間 高校教育』にゆずるが、緊急事態
   に備えての対処の仕方や実験学校における試行に重点が置かれているように思えた。

    センターを出て最初に訪れたのはサン・ジュリアン連合教育区教委であったが、教育
   課程部長がその特徴や区内にある九つの高校の特色を説明してくれた。
 その後、
   エル・キァミノ高校へ案内された。実は私はあらかじめ、この高校の訪問を希望してい 
   たが、それは以前、合衆国の閣議資料で、この高校が優れた高校とされており、また
   レーガン大統領もインディアナポリスで行われた『優れた教育に関する全米討論会』で

   賞賛した高校であることを知っていたからである。

    ベッタル校長は不在だったが副校長から全般的な説明を受けた。 因みにこの高校
   は数年前まては学習的雰囲気は悪化し続ける一方であったが、1979年に若くて教育
   熱心なペッタル博士が着任してからは、入学時には全生徒と父母に校則を遵守する旨
   の誓約書を書かせたり、また教員に対しても宿題採点は3日以内に必ず生徒に返すこ
   と、生徒指導は全職員で取り組むことなど22項目を設定してその励行を求めたりした。
    その結果、州の統一テストは平均11点以上向上し欠席率も14%から4.5%にまで減った、
   とのことであった。 その後、校内を参観したが、さすがに各施設はよく整備されており、
   破損した窓ガラスや油具を塗ったような汚れた跡のある壁は皆無で感心した。

    次にルーサー・バーバン高校へ案内された。 この高校は数学、科学、技術に重点を
  
 おいているということであり、事実その関連機器も充実しており、校内の整備状態も良
   かった。 学校新聞ももらったが、PTSA (PTAの他に生徒も含めた組織)の記事、州テス
   トの成績、選択科目の特徴と具体的な取りかたなど、詳細なものでアメリカらしいもので
   あった。 また、ちょうど、この高校ではサマースクールが開かれていたが、他校の生徒
   や地域の生徒たち約300名が授業を受けていた。 校長も本校とは別に任命され、予算
   も別途であるが若くて有能そうなデューベル先生が案内してくれ面白かった。

         オールタナティブ教育

    26日(金)午後、サクラメント市教委のチァールズ・ミウラ教育次長を訪問し、主として、
   オールタナティブ教育について質問し、意見も交換した。

    ご承知のように、オールタナティブ教育は二通りの意味で使われている。 その一つは
   選択教育ともいえるもので、生徒の希望や進路、能力に応ずる科目やコースの選択のこ
   とである。 したがって学校の枠を超えて生徒はそれぞれ優れた施設・設備や教授陣の
   整った他校へ行って授業を受ける仕組みである。  ここサクラメントでも数学や科学・技
   術をより学びたいと考える生徒はルーサー・バーバン高校で履修することができる。 し
   かしそのためにはDTA試験のパスすることが必要とされている。 また事務や技工をよ
   り高度に学びたいと思う生徒はジオン・ウェニスト学園で履修することもてきるということ
   である。

    また芸術コースは主としてサクラメント高校が担当しているし、さらにはまた青少年
   ROTCプログラムなるものがあり、空軍コース、海軍コースも選択することができ、それ
   らはマクラットン高校とジオンソン高校が担当している
とのことであった。

    他の 一つは非行生徒たちに対する懲戒としてのオールタナティブ教育である。ここ
   でもそのような学校があり、各学校で手に負えない生徒たちを一時的に受け入れて再教
   育する特別教育である。 少人数で時には一対一教育になることさえあると説明したが
   具体的な数字は示されなかった。 その高校はゲイトウェイ高校であるが、その様子に
   ついての説明もあった。  さらに停学とは少し違う指導方法のようであるが。完全に一
   定期間、生徒を父母の監督下おく“独学学習”なるものさえある。 もっともその学習計画
   は公的につくられているし、教師による定期的な家庭訪問もなされていて、大型トラック
   で家族ともども移動する生徒への対策のようであった。

    以上のようなアメリカ側の説明に対して、私は[わが国ではゲイトウェイ高校のようなも
   のはない]と答えた。  わが国では非行生徒について家庭裁判所調査官の観察制度
   はあるが、それも元の学校で試験監観察に付されるものが多く、その意味では在籍学校
   が終始、その生徒の面倒をみるのが普通であると答えた。 これに関連して日米の年間
   授業日数の違いや、わが国の学校行事の多彩のこと、部活動の活発さ、教員の給料、
   プライド、勤務評定のおおらかなことなどにも話が進んだ。


        NSSC学校管理研究会の傍聴

    7月26日(金)午後6時から10時まで、センター会議室でスティブン所長主宰の『学校管
   理研究会』が開かれた。 参加者はセンター部長、専門官など9名で、その傍聴
が許さ
   れた。会議の冒頭、スティブン所長は[初めて日本から訪問客を迎えて光栄である]旨を
   述べて紹介してくださった。また記念の図書やNSSCのシンボルであるりんごの模型を
   もらった。

    
研究テーマーは[マスメディアとの関わりについて]であり、メンバーが二班に別れ、A班
   には次のような課題が与えられた。

  
 (状況1) ロナルド・W・レーガン職業高校の昼食時に一人の生徒が中庭で38ミリ口径の
       銃を発射した。それは明らかに他の生徒をねらったものであったが当たらず負傷
       事件にはならなかった。ディーンからの報告を受けて警察官が来て容疑者を逮捕
       し、地方少年保護機関へ送致し、現在、容疑者はその拘留下にある。 すでに
       放送局員などメディアが集まりつつある。 適切なスポークスマンの選びかたとメ
       ディア対策について述べよ。

   (状況2)
 他のケースである。ジャック・T.リッパーはグロリァ・シュタイム中学校の生物
       教師であるが市警察に拘留中である。 それはクラスの女子生徒に性的にいかが
       わしい行為をした容疑によるもので、女子生徒の陳述は詳細なものである。 しか
       し.リッパー教師は告訴事実を全面的に否定し、さらに[彼女に低い評定を与えた
       ために、そのしっぺ返しに私ははめられたのである]、[彼女は以前、良い評定
       との交換条件として性的交渉を申し出たことがある]といっている。
        適切なスポークマンの選び方とメディア対策について述べよ。

    以上の課題をもらってA. B班はそれぞれ別室で20分ほど協議した後、再び会議室へ
   戻ってきて、一人一人が校長、ディーン、学校保安官、地方報道官の役割を演じながら
   それぞれの考えを述べた。 しかも驚いたことにはサクラメントの放送局員が来ていて、
   実際に質問したり激しいやりとりが行われた。
 しかもそれが総て録画撮りされていた。

    このように細かい内容のやりとりまではよくわからなかったが、しかしマスメディアを尊
   重する気持ちと教育の独立性を保とうとする気迫が溢れていて興味深かった。


    約40分の討議の後、休憩になり、最後にスティブン所長が総括して次のようなことを述
   べた。

    ・ 前もってメディア対策をつくっておきなさい。だれがスポークスマンになるか。 また
     それ以外の人は学校を代表したような意見をいわないこと。
    ・ 緊急事態にそなえて日頃、公式ステイメントの型を準備しておきなさい。それを読み
     上げたり、文書で配布するときに役立つでしょう。
    ・ 前もってメディアの質問を予想して、その答えをリハーサルしておきなさい。 過激な
     質問、神経過敏な質問、混乱させるような質問などに対応できるようにしておけば、
     実際に役立つでしょう。

    ・ [ノーコメント]はいわないでください。皆さんは公的機関を代表する人ですし、彼らメ
     ディアは大衆の知る権利を代表する人たちだからです。
    ・ [私は知りません]ということを恐れてはいけません。 それは嘘をつくよりよいことで
     す。しかしその後は進んで一定期間内に、それを補う努力をしなければなりません。
    ・ 簡潔に答えなさい。 わけのわからない特殊な専門用語は避けることです。
    ・ 評判をコントロールする方法をつくっておきなさい。

    ・ 全スタッフが内部的に同一意見をもつように努力してくたさい。
    ・ 常に冷静に職業意識を堅持しなさい。

    このように研究会は机上の抽象論のやり取りではなく、具体的なもので、しかも役割分
   担して実演し批評しあい総合するといった展開であった。しかも午後10時過ぎまで続け
   られた。私は終始、傍聴者であったが、
途中で感想を求められたので、前述したような
   感想とともに、広く生徒の非行防止策として、マスコミを含め一般国民の協力や理解を得
   ることは重要であるが、基本的には生徒と先生との時間的接触を多くすることが大切で
   あり、その点、わが国の部活動や多彩な学校行事は長所であると説明した。 そして例
   えば今、私は夏休みを利用してここに来ているが、わが校では夏休みといえども相当数
   の生徒や教員が自由意志で補充授業、補修授業などの学習や諸活動を校舎やグラウ
   ンドで展開してにぎやかである。
 今私がここにいるのも少し心苦しい気持ちになると話
   した。


      NSSCを離れるにさいして
    26日(金)夜、NSSCを去る前夜に、英文による『アメリカ学校安全週間 1985年ー
    186年』を示され、この全米的行事に賛同願いたいといわれたので一読して署名した。
    また帰国後その和訳を郵送した。
 和訳は略する。

           その後

     2003年2月、スティブン所長から「NSSCは公立学校における警察職員の役割について
    のカリキュラムを強化しています。研修を受ける人の規模も4500人規模にしたい」、「ま
    
たこれを国際的にも広げたい。ついては日本の要人とも接触したい」との手紙が送られ
    てきた。 
    
 そこで、愛知県警少年課長にも話したが、次いで警察庁少年課長に直接会って、そ
    の旨を話そうと考え出かけた。もちろん事前に手紙を出していたが会えず、代わりに課
    長補佐と約30分、面談したが職員派遣の件は実現しなかった。


     なお
スティブン所長からメーセージが送られたきたので私のホームページに載せた。
     Ronald D. Stephens さんのページ

     (2003年.2月)    全米学校安全センターとの交流を期待

      さらに、スティブン所長についていえば、1998年4月、連邦下院・教育問題等委員
    会で、全米の現状やその対策として全米レベルとして取り組まなければならない事項、
    地方レベルのそれなどについて詳しく陳述されている。その全文は今でもインター
    ネット上でも見ることができる。
NSSCのページからも検索されるとよい。


おわりに
    ご覧のとおり、この訪問記はかなり以前のものであるが、はじめにも述べたような事実
   があったので参考になるだろうと考えて載せた次第です。 とくにNSSC学校管理研究会
   の傍聴の箇所はそうで、メディア対策としても有益であろう。
    最近、わが国の若者は内向き志向といわれているが、それはなにも若者だけに限った
   ことではなかろう。 
それにつけても当時、英語にも不自由しながら単身で、設立間もな
   いNSSCへ出かけ
懇談のさいには、わが国の長所も述べながら対応したことを懐かし
   く思っている。
 齡すでに85の坂を上りつつある。 “旅に病んで”というほど゜ではないが、
   さすがに体力は衰えた。しかし“夢は枯野をかけ廻る”気力だけは残っているような気が
   する。

平成23年(2011年)7月14日記           無断転載禁止