杉田荘治
はじめに
わが国でも体罰に関する判例は幾つかあるが、その多くは暴行や傷害レベルのもので、
実質的には必ずしも学校教育法や同規則上の体罰、すなわち懲戒としての“体罰”(有形
力の行使)を取り扱ったものとはいえない。 懲戒としての“体罰”について典型的な判例
は次ぎに述べる『女子教諭体罰(懲戒)事件』であると考えるので以下、その要旨について述
べ、その後関係規則や通達などを記し、最後にコメントする。
女子教諭体罰(懲戒)事件
東京高裁 第3刑事部 昭和56年4月1日判決
資料: 刑事裁判月報 昭和56年度 13巻4号 341頁
中学校の教諭が平手と軽く握った拳で生徒の頭部を数回軽く叩いたことは、学校教育法
11条、同規則13条によって認められた正当な懲戒権の行使であり、違法性がないとされ
た判例である。 従ってその教諭は無罪
1. 判決理由
有形力の行使は教育上の懲戒の手段としては適切でない場合が多く、必要最小限度に
とどめることが望ましい。 しかしながら、教師が生徒を励ましたり、注意したりする時には
肩や背中を軽く叩く程度の方法は相互の親近感や一体感を醸成させる効果があると同様
に、生徒の好ましからざる行状についてたしなめたり、警告したり、叱責したりする時に、
やや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが、注意事項の重大さ
を生徒に強く意識させるとともに、教師の毅然たる姿勢・考え方や教育的熱意を感得させ
ることになって、教育上肝要な注意喚起行為や覚醒行為として機能し、効果があることも
明かである。
教師として懲戒を加えるにあたっては、生徒の心身の発達に応ずるなど、相当性の限度
を越えないように教育上必要な配慮をしなければならないことは当然である。
生徒の今後の自覚を促すことに主眼があったとものとみられ、また平手と軽く握った右手
の拳で頭部を数回軽く叩く程度のものにすぎない。 これを生徒の年齢、健康状態や言動
などと併せ考察すると、懲戒権の範囲を逸脱して体罰といえる程度には達していない。
他にもっと適切な方法がなかったかについては、必ずしも疑問の余地がないではないが、
本来、どのような方法・形態の懲戒を選ぶかは、平素から生徒に接してその性格、行状、
長所・短所等を知り観察している教師に任せるのが相当であり、その決定したところが社会
通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁量権によって決すべき
事項である。 刑法208条の暴行罪は成立しない。 無罪
2. 事実
○ 昭和51年5月12日、水戸のある中学校の体育館で全校生徒に体力診断テストを実施する
ため、約400名と十数名の教師が集まっていた。 ところがその時、2年生のその生徒が「何
だ、Kと一緒か。」とその教諭の名をいい、友達にずっこけの動作をしてふざけてみせた。
○ そこで教諭は前述のように叩いたのであるが、他の生徒たちの証言によれば、こづく、とい
う状態であったし、大多数の者もこれに気付かず、特別周囲の注意をひくほどではなかった
し、生徒自身もとくに反抗したり反発したりせず、おとなしく叱られていた。
○ 生徒の身体に傷害や後遺症を残すような証跡は全く存在しない。
○ その8日後、不幸にも生徒は死亡したが、当時生徒は風疹にかかっており、また生徒はバ
レーボール部員でもあったことなどから考えると、その死亡との因果関係を示す証拠は全く
ない。
○ 生徒は性格が陽気で人なつこい反面、落ち着きがないことを教諭は知っており、またよく話
しかけたり、ふざけたりすることもあったので、教諭はその生徒に対して、ある種の気安さと
親近感を持っていた。 憤慨・立腹し、私憤に駆られて単なる個人的感情から暴行するとは
考えられない。
3. 一審
この件は昭和52年5月24日、水戸簡裁で罰金5万円の略式命令が出されたが、その後前述
のように正式裁判に持ちもまれ、水戸簡裁の判決は罰金3万円。(学校事故等判例集 第3巻
941頁)
U 違法な体罰ケース
福岡地裁飯塚支部 昭和45年8月12日判決
資料 : 判例時報 613号 30頁
違法な懲戒(体罰)。 翌日その教師を恨む遺書を残して自殺した。 死亡との因果関係は
ないとされた。 福岡県立高校の生徒と教師 福岡県に対して3万円の支払いを命じる
国家賠償法
事実(概要)
○ 昭和37年9月25日、福岡県立某高校の人文地理の時間に、その生徒は私語し続け、しか
も生物の参考書を開いてしたので、授業後、職員室へ連れていかれて訓戒された。 生徒
は反省したので次ぎの授業開始とともに「教室へ戻るように」といわれた。
○ しかし、これを見ていた生徒のホームルーム担任が、隣の応接室へ連れていって叱責した。
これに対して、生徒は反抗的な態度を続け、しかも喫煙やカンニングなどの事実も判明した
ので、担任教師は平手で数回、頭部を殴打し「明日、父親が来校するように」と命じた。
午後2時30分頃、クラスへ返したが、その間、授業を受けさせず昼食もとらせなかった。
○ 翌朝、生徒は級友あてに6通の手紙をしたためて首吊り自殺をした。
○ この担任はいくぶん短気で、今までもしばしば体罰を加え、生徒を負傷させたり、逆に生徒
から刃物で刺されたりしたことがあった。 また生徒も訓戒を受けたことがあり、また事件の
6日前にはノイローゼに基因する不調で診断を受けたことがあった。
以上の事実から、これは「はじめ」に述べたように体罰ケースというよりは、むしろ暴行レベルの
ものといわなければならないであろう。 それでもこの判決理由には「教師としては時には厳格
な懲戒に及ぶことがあってもやむを得ないことであるが、」として時には厳格な懲戒を認めている
ことにも注目する必要がある。
なお、二審である福岡高裁(昭50. 5.12判決)では一審を支持するとともに、慰謝料は原告2名
にそれぞれ60万円とされ、上告審では棄却されている(昭52.10.25)。判例タイムズ355号 260頁
V 通達等
異常な体罰事件が起こると、その都度、通達が出されるが、実質的なものは下記の通達や
『ガイドライン』であると考える。 これは第2編で記したものであるが再掲しておこう。
法務庁法務調査意見長官回答 『児童懲戒権の限界について』 昭和23年12月22日
教師の心得
・ 身体に対する侵害を内容とするもの、殴る、蹴るの類は体罰である。
・ 生徒に肉体的苦痛を与えるようなものも体罰である。しかし、その場合、生徒の年齢、
健康、場所、時間的環境など種々の条件を考えあわせて、その肉体的苦痛の有無を
判定しなければならない。
・ 放課後、教室に残留させることは体罰にならない。しかし、合理的限度を超えれば監
禁罪になる。その合理的限度とは非行の性質、性行、年齢、留め置いた時間の長さな
ど一切の条件を総合的に考慮して、通常の理性をそなえた者が判断することを標準と
する。
・ 用便に行くことを許さないとか、食事時間を過ぎて長く留め置くことは体罰に該当しよう。
・ 授業に遅刻した生徒に授業を受けさせないことは許されない。
・ 授業中、喧嘩その他ほかの生徒に妨げになるような生徒を、教室の秩序を維持するた
めに室外に退去させることは許される。
・ 懲戒の方法として学校当番を多く割り当てることは、合理的な限度であれば許される。
追記 (2003年9月)
【コメント】 この『ハンドブック』は実情にあった適切なものと考える。 また至文堂『現代の
エスプリ 302号』 現代の教育に欠けるもの、1992年/9月号のなかで杉田の論考
とともに杉原 誠四郎教授が次ぎのようにコメントされている。 152頁 すなわち、
文部省では、「軽く叩く等の軽微な身体な身体に対する侵害を加えることも事実上の懲戒
の一種として許されると解釈するのが相当であろう」と、実情にあった解釈をしていた。
しかるに、最近、身体に触れるだけで、法定禁止の「体罰」でというような、あえて言えば異
常な風潮になったのである。として。 なお前述の『ハンドブック』の存在と有効性につい
て、大學関係者やテレビ放送関係スタッフから、よく質問されるが、初中局に直接、質問
されたほうがよいでしょう。
コメント
ご覧のとおり東京高裁の判例や『ガイドライン』は体罰に関する妥当で有益な指針になると
考えている。 ところが最近益々、ちょっと生徒の身体に触れただけでも違法な体罰とする
ような風潮になってきている。 「先公、それは違法な体罰だぜ」といわれて、すくんでしまい、
その結果、荒れる学校、クラスの崩壊へとエスカレートしていくことにもなる。
したがって今後、次ぎの点をはっきりさせてから論議や施策をなされるよう期待したい。
○ 東京高裁や『ガイドライン』の示す「懲戒権の範囲内の“体罰”(有形力の行使)」を認め
るのか、それとも「身体に触れただけでも、それは違法な体罰か」をはっきりさせること。
○ 荒れる学校やクラス崩壊は教員の指導力不足に因るところもあろうが、前述のように
口頭による注意の繰り返しに因るかどうか。
○ クラスの騒ぎを静めるために「理由のある力の行使」をして、反抗する生徒をクラスから引き
ずりだすことは許されるはずであるが、それについてはどうか。 もしそれに反対するので
あれば、具体的にどのような方法があるのか。
なお、懲戒権の範囲内の“体罰”にさいしても歯止めは必要であると考えるが、それについて
は第24編の提言、第101編を参照してください。 また「理由のある力の行使」については
第25編を見てください。 アメリカの規則などは第26編を参考にしてください。
前述のように今後、教育行政当局、教員組合、教育評論家などは今、述べた諸点を明確にし
て見解を出されることを期待したい。 また体罰事件が起こったさいに、その教員の行為は詳
しく報道されるが、生徒の行為やクラス・学校の状況などについては殆ど知らされないが、出来
るだけ報道されることも望みたい。 また体罰に反対であるのはよいとしても、停学や出校停
止もあやふやでは問題を残していくことになる。 それは“教育の失敗”と批判するだけでは
すまされまい。 最後に、体罰問題について論考する人を“体罰愛好家”とみなす嫌いがある
が、むしろその逆であろう。
2006. 1. 28記
追記 文科省通知『懲戒・体罰』と杉田の論述については第201編を参照してください。