【 註 】 宮田 力松さんは大正 5年( 1916 ) 富山県で生まれ、苦労して兵役後、日大卒。
小・中・高・専門・
大学で指導され、 愛知県教育委員長が最後の公職。 現在、春日井市の二つの館で日本史講座を
担当されている。 神職でもある。 半田市在住 56年。
戦後教育 50年の反省
戦後の新教育は、指導 (ガイダンス)と評価 (エバレーション)の言葉で特徴づけられ、人間形成を目標
に行われてきました。 その結果は、小学校では 8人に 1人の割合で学校嫌い、不登校など学校種別を
問わず゛新教育は掛け声だけに終わったようです。
それでは、子どもたちは全く勉強嫌いになったのでしょうか。 それは大きな見当違いで、愛知県下に
ある通信制の高等学校へ 1万数千人の生徒が就学し、また、年 1回実施されるいわゆる大検受験者は
激増しつつあります。
評価についてみると、これまでの学習結果に重点が置かれていた相対評価に、大きな反省が求めら
れ、子どもの学習への関心、態度、意欲といった面が強く打ち出され、これまでとは大きな転換を余儀
なくされています。
相対評価は、クラスの誰かを敵視しかねない非人間的な教育だ、といわれる一面のあったことも事実
です。 また、自己の努力の成果が見えにくいといわれ続けてきました。 評価は、教師に新しい学習観を
育て教育に新鮮味が加わった一方、子どもにとっては重大な影響を与える結果となりました。
さらに偏差値による入学選抜は年々、その傾向を強め、教育の本質さえ見失うようなところまでその
結果は深刻なものとなり、教育の改革は社会的問題の一つともなり、政府などの諸改革も残念ながら後
手後手にまわり、その実効は期待はずれでした。
教育基本法 第 1条の 「教育の目的」として明記されている、「人格の完成」、「よい国民の育成」のい
ずれも掛け声やスローガンに終わり、戦後の新教育は 2, 3のよい点は一応別として、少なくとも 「人間
形成」の観点からみて、残念ながら不成功といわざるをえないのではないでしょうか。
その例として、いま沖縄の一老人の言葉が浮かんできます。
「私は戦後本土へ行ったことはありません。 本土から石垣島へ来る若い人を見ていると、戦後本土に
教育があったのでしょうか」、「豊かな心」のかけら程も見受けられない気持の表れのように思えてなり
ません。
これからの教育についての課題とその対策について、二つの点について提案したいと思います。
第 1は、子どもたちの 「喜びを育てる教育」についてです。 小さな問題でもよい、教師は助言を与
え、時には協力し、励まし合って苦労することです。
やがて解決出来たとき、手を取り合って喜び合うような授業を考えてのことです。
ここで大切なことは、
教師の姿勢です。 教師は子どもの目の高さまで、自分の目を下に落とすことです。
子どもの心の中
まで覗き込むような姿が大切、肝要であり成功の鍵だ、と思います。 私の長い経験から生まれた鉄
則の一つです。
第 2は、どの教科の学習にせよ、子どもたちは必ず手もとに辞書を置き、丹念に辞書を引き、事物の
本質を正確に把握させるように習慣づけることです。それによってたんに言葉を覚えるとか、ことがらの
理解を探るにとどまらず、究極的には、人間の生き方にも通ずるものがあると思います。
結び
私には人に自慢できるような学歴は全くありません。 満足に学校通いしたのは小学校尋常科・高等
科 9年です。学習歴は、いまも三重県松阪市本居宣長記念館で15歳から始めた
『古訓古事記』に係
わる学習を続けています。 最後に一言、学歴より学習歴をと教育関係者、親たちに訴えたいと思い
ます。
1999年8月に寄稿された。.