【註】 岸本 直哉さんは、1930年(昭和5)生まれ。 名古屋大学大学院修士課程終了。 愛知県立高
校教諭を歴任され、 1991年(平成3)退職。 現在、岡山県津山市に在住して、本文記載のと
おり、97才の母堂を介護されながら農業に従事されている。
今、教育について思うこと
四十年余、愛知県で高校教員を勤めたあと、岡山県津山市の一隅の農村に移り、97才の母を
介護しつつ、農作業をやっている。 都会暮らし、教壇生活とは全く異質な体験を重ねる中で、様々
な思いをしている。
自分自身の体を動かさなくては何ひとつ事は運ばない。 古希の年齢になっての肉体労働は次
第にきつくなってきた。 もう、ぼつぼつ生活様態を変えなくてはというのが実感であるが、なかな
か踏ん切りがつかない。 薪で風呂を焚き、下肥えをかつぎ、自作の米・野菜を食べての生活を
人に話せば、[晴耕雨読]で結構ですね等と羨まれるもするが、実態はとてもさような生易しいもの
ではない。 [晴耕 雨眠]でなんとか体をもたせているのだ。
しかし、薪で焚いた風呂の柔らかい感触は、えもいわれない心地よさがあるし、米・味噌・沢庵
が常に手元にあることの心強さは何物にも代えがたい有り難さを感じる。 阪神大震災戦時中の
や戦災後の非常事態の中で、人々が路頭に迷ったことを考え合わせるとき、自給自足の生活の
強さを思わずにいられない。
電化 ・ 機械化の恩恵を受け、金さえ出せば何でも買える世の中。 スーパー ・ コンビニでイン
スタント食品を買い、自販機のコーヒーを飲む生活が日常化した中で育った若者達が非常に遭
遇したときに、はたしてどう生きていくんだろうかと、気に掛かる今日である。
若者達には、是非とも自分で薪を作り、自分で野菜を作り、自分で風呂を湧かす体験をさせね
ばと思う。その体験の中から自分の足で歩く力が育つのではないだろうか。 学級破壊 ・ 理由
なき傷害事件等頻発する世相を見て、その根底に若者達や大人たちが、自然を離れた生活に
なじみ過ぎてきたことがあるのではないかと思うのである。 教職にあった時代に、この辺のこと
にもっと気づいていたならば、もう少しましな教育ができたものをと悔やまずにはいられない。
...『偕行』 1999. 5月号掲載分 6月に寄稿された。