杉田 荘治
はじめに
アメリカ・マサチューセッツ州で19地方教委内の19名の生徒から教育についての訴訟がなされて
いるが、そのうち特に低所得層の4つの教委関係について審理が行なわれている。 この件に関
連して、Botsfordという裁判官から意見書が提出され、事実上、教育行政当局に対して教育改善
についての勧告がなされた。 その波紋が広がっているが、このことについて最近(2004年4月末)、
Boston Globeなどが報じているので、先ずこれらを概観し、次ぎにその報告書そのものを見て、
波紋についても述べることにする。
T Boston Globe (4/27/2004)号その他から
マサチューセッツ州最高裁の裁判官Margot Botsfordさんが「州当局は、すべての子供たちに良い教育を
実施する義務を負っているが、この憲法上の義務を怠っている」、「すべての3才児、4歳児に就学前の教
育を施すこと」、「適切な学校管理を構築すること」、「特殊教育を受ける子供に財政的援助を与えること」な
どの意見書を州最高裁に提出した。 今後、最高裁がこれを追認すれば、マサチュセッツ州は州全土につ
いて授業を作り直すことになるが、その最終判断は最高裁の手に委ねられることになった。
事件の背景
実は11年前にその元となる訴えがあり、州最高裁が判決したのであるが、その後相当の改善がなされて
きたが、特に貧しい地区については極めて不充分であると指摘されたのである。
評価する点と不充分とされた点
前の判決があった1993年以来、1900の公立学校のテストの得点は向上し、教育予算についても130億ドル
であったものが毎年12%も増えて308億ドルにまでなっている。 しかし2003年から今年にかけて、その予
算は4.5%減少し、特に都市部や上記貧しい地区では顕著になってきている。 その一例として100年以上
も経っているForest Park中等学校は教室やロッカールーム、地階などは昔のペンキ塗りのままであり、顕
微鏡も930名の生徒に対して12台しかない。 WinchendonやWorcester郡の北中央部の学校もお粗末で、
びっくり仰天するような状態である。
このことをBoston Associate Press(4/26/2004)号から補足すると、それらの地区では、
○ 学級定員の多さ ○ 安全でない施設・設備 ○ 良い教員が富める教育区へ流出する
○ 不充分な特殊教育 ○ 図書館、技術関連のものの不備 ○ 就学前教育を受けない子供
これらについて改善の期限を定めて推進する必要がある。
もし州最高裁が、Botsford裁判官の意見書を追認すれば、その費用は莫大なものになるが、州議会は
それを決めなければならない。 原告側の主任弁護士D.Weismanさんは「この勧告は100万人になる生徒
にとっては偉大な勝利であり、今訴えを起こしている19の教委にとどまらず州全体の特に必要とする地区
を助けるものとなる」と評価している。
Suffolk大學ロースクールVictoria J. Dodd教授も「昨日出された勧告は莫大な財源を必要とするが、教育
に対するインパクトも大変なもので、これは他の州にも影響を与えるようなモデルになろう」といっている。
州政府、教育当局からの反論
「勧告は教育行政当局の絶えざる努力を認めたものであり、一般論として今後、財政の公式的な定石を
再検討するように求めたものである」と反論している。 これについてBotsford報告が発表された当日、
David P. Driiscoll教育委員長が直ちに声明を発表して「われわれが今までやってきた偉大な進歩を
Botsford裁判官は認めてくれました。州最高裁もそのように判断してくれると信じています。 また今進
めている21世紀基礎財政委員会についても、われわれはこれを推進していきます。 報告書は、このよ
うな具体的な政策に反対しているのではなく、一般論として財政の基礎的方式を改善するように求めて
ものと理解しています。 われわれも、いろいろな手段や財源を使いながら、そのようにしたいと準備して
います」と述べた。
なおNEAによれば、マサチューセッツ州では生徒一人当たり、2001-2002年度で10,190ドル費やしている。
これは高額で全米では第五位である。 しかし最近、そのカット率は他の州より大きい。
U Botsford裁判官自身の報告書
これは2004年4月26日に担当事件について州最高裁への報告書として提出された。その元の事件は
1999年に19の地方教委の19名の生徒から出されていたものであるが、2003年になって次ぎの4っつの
教委に絞られた。すなわち、Brockton, Lowell, Springfield, Winchendonであるが、Winchendonは小さい
教委であるが他の三つの教委は大きくて都市部にある。 いずれも低所得層の多い地区である。
○ 1993年から2003年までの10年間で州政府は努力して、毎年12%の教育予算の増加率であっ
た。その額は308億ドルに達している。 大學も認めているように州のカリキュラムの質も向上
し、教員免許の更新や現職教育の向上についても新しい基準を設けている。
○ 教委は良い教育をするという結果責任を果たしている。すなわち、州の標準テストMCASの成績
も良く2003年度には英語、数学について約95%の生徒が合格している。 SATテストの結果も同
様である。
問題点
○ しかし、問題になっている四つの教委は明らかに他の教委とは異なり、州のカリキュラムの質を
満たしていない。施設・設備についても前の判決で求められた基準には達していない。
○ 州標準テストの成績、落第率、高校卒業率、SATテストの得点など、そのいずれについても州平均
より極端に悪い。ことにここ五年間がそうである。
○ 特殊教育についても同様である。他の教委は平均してその財政は130%増であるが、この四つ
のそれは精精、同額である。
○ 3才児、4才児の教育についても全くこれを受けない者も多い。
○ 財政の定則、管理の仕方、リーダーシップの欠如などを改善する必要がある。
従って、この子供たちは憲法で保障されているような十分な教育を受けていない。適時、適切・効
果的に改善することが必要である。
波紋 : 波及効果と批判
T 波及効果
この報告書が提出されてから三日目に、州議会下院は早速、幼児教育についての対策に着手した。
すなわち、Boston Globe(4/30/2004)号によれば州議会下院は、すべての3歳児、4歳児の早期教育
とケア計画を153: 0という全員賛成の賛成によって可決した。 これは歴史的な出来事である。内容は
低所得の家庭の子供を無料にするものである。
これを受けて、下院議長は二つの委員会を発足させたが、その一つは「良い就学前教育」についてであり
他のひとつは「教員の資質」に関するものである。 関係部局、委員長なども定め2005年7月まで成案
を得るが、今、親たちのなかで問題になっている「幼稚園教育か保育か」ということについても一元化を
図り、そのために唯ひとつの機関によって推進することになった。 名称は「広く受け入れられ、高いレベ
ルの早期教育、3歳児・4歳児のケア・プログラム」とされた。 発足に当たっての費用は9万ドル、また
今後10年間に12億ドル、さらにその後、毎年多額の費用を必要としよう。
なお、今、マサチューセッツ州では16万人の3歳児、4歳児のうち6,400名が就学前教育を受けて
いない。
2005年度予算案は下院に提出されるが、Mitt Romny州知事の承認が必要である。 知事は賛成する
ものと考えられているが、しかし前述のような良質な計画を十分に推進するかどうかは、なおはっきりし
ないと訴えを起こした原告の一人であり、また公平学校財政会議議長でもあるNorma Shapiroさんは語っ
ている。
なお全米的にみるとGeorgia州だけが家庭の所得のいかんを問わず、4歳児のすべてについて無
償で就学前教育を行なっているが、他の州の取り組みは遅い。
U 批判 郊外の地区は批判的て゜ある。
富裕な都市郊外にある地区はBotsford意見書に批判的で、財源が自分達のほうから、貧しい地
区へ振り向けられるのではないかと警戒している。 すなわち、ことことについてBoston
Globe(5/2/2004)
号は次のようなことを記している。 すなわち、
富裕な町は財政問題の矢面に立つのではないかと心配している。 例えば、Marlboroug地区のK.Robey
さんは「ここの住民はびくびくしている。 先週の報告書は直ちに財政の仕組みを変えるものではないだろう
が、州の公立学校教育全般について再検討させるような含みがある。多くの教育関係者がこの報告書の
後を追うようなことになりはしないか」、「次ぎに何が起こるかわからない」といっている。
例えば今でも、生徒数12,700のMillbury地区は550万ドルも補助金を受けとっているのに、7,900名の生徒
がいるMils地区は180万ドルしか受けとっていない。 同じように31,000名のShrewburyは1,020万ドルであ
るが、36,000名のMarlboroughはその半分の590万ドルしか補助金が来ない。 この傾向が今後、顕著に
なりはしないかと懸念するのである。
富裕な郊外の地区が、より多く侵食されるようになると新たな不平等を生み出すことになる。 「富裕
だとか貧しいなどということに余り補助金を連動させないことが必要である。そのようなコンセンサス
をつくりたい」と郊外地区出身の議員が語っている。
また全米的に見ても50州のうち44州で同じようなケースがあるが、今後も“公立学校教育とは一体、
どうあるべきか”の問題として問われていくものと思われる。
参考 1 事件名など
Hancock v. Driscoll 正式にはJujie Hancock et al v. Commission
of Education Driscoll
et al
○ 原告はHancock他、19の教育区の生徒たち、その主任弁護士はMichael
D. Wieisman
○ 被告は州教育委員長Driscoll他
参考 2 Margot Botsford裁判官とは
正式にはHonarable Margot Botsford, Title Associat Justice
従って州最高裁判事:Justiceは7名いるが、その判事ではなく、わが国で以前あった予審判事
のようなポストである。 Boston Globeなどの記事でも総てJudge Margot
Botsfordとなってい
てJusticeとはなっていない。 従ってその報告書は州最高裁(Supreme Judicial Court)へ提出
されたのである。
なお参考までに、マサチューセッツ州最高裁はSupreme Court ではなく、その間にJudicial
とい
う語が入っている全米でも珍しい例である。他の殆どの州ではたんにSupreme
Courtである。
1780年に議会の用語との関係で挿入されたらしい。 なおこの州最高裁は、7名全員による判決は
年間約200件、 一人の最高裁判事によるものは約600件である。(資料:
同裁判所関係資料から)
参考 3. SATテスト : Stanford Achievement Test 次ぎを参照してください。
関係個所を下記しておこう。
97. 12才の少年がシカゴ大學・医学スクールで順調に学んでいる
SATテストは大學委員会が実施するテストで、多くの大學の入試には、それを受けてくることを必須
要件にしている。SATUは専門科目であるが、SATTは広い意味での英語(Verbal)と数学である。
Verbalは 批評的なリィーディングのことで総合的な文章理解力、論理的思考力が問われる。
年7回実施。多くの高校生は3年生(4年制の) または4年生で受けている。 なお各大学はこれら
のスコアの他に、高校での記録、エッセイ、推薦書、面接、課外活動などの資料を併せて合否を
決定している。
コメント
19名の生徒からの訴え、また予審判事のようなポストとはいえ自分の所属する州最高裁へ意
見書を提出し、それが波紋を広げるなど、わが国では考えられないようなケースである。また
富裕な郊外の地区への補助金が貧しい地区へ流れることを懸念するなど、かなり結果責任を
果たしている州といえども、このような形で責任を追及されていく厳しさは、それこそ教育行政
当局にとっては厳しいものであろう。
わが国は市町村学校給与負担法によって教員給与は全額、国や都道府県から支給されるの
で、全国一律に良い教員を確保することができ、また義務教育諸学校施設国庫負担法やへき
地教育振興法などの手厚い国庫補助金によって、例え寒村や山間僻地にあっても“目を見張る”
ような校舎や施設・設備が整っている。時には立派なプールさえあり、むしろ“どっぷり補助金行
政に浸っている”との批判さえある。 彼我の長短を自覚し、さらなる教育向上について一層の
工夫と努力が期待されよう。
2004. 5. 10記