12. 今後の日本と黒船
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杉田 荘治 |
70 才になった今でも、不惑には、ほど遠く、日々の生活に一喜一憂している有様であるが、それ
でも時には[我が国の将来]について考えることがある。
- 「最近の日本は少し変」である
- 日本人は本質的には優秀であると思う。 聡明、清廉、勤勉、温厚その他多くの長所を持って、時
- には新しい文明・文化を大胆に採り入れ、それらを融合させて、良き日本的なものを創りあげてきた。
戦後もその例である。しかし、良いものでも長く続けば、綻びもするし、腐敗も生じよう。「最近の日本
- は変だ」といわれるのは、その良きものが長く続いたところに根があろう。
しかも「少し変」なのは、なにも若者に限ったことではない。大人も子ども若者も、すべての者が「少
- し変」なのである。グルメ嗜好、楽しいショッピング、カラオケ、楽しい大学へと、とにかく「楽しさいっ
- ぱい」でなければ価値がないのである。 学校行事でも、楽しくない修学旅行や楽しくない卒業式は、
- 生徒を大切にしない行事なのである。 「楽しさいっぱい」には教育も勝てない。
また、「国民の知る権利」にも勝てない。ご病気の天皇の下血が、昨日は○○cc.と正確に報道す
- ることが国民の知る権利」なのである。祭礼で神事が行われている奥の社にまで多くの参拝者(見
- 物人)が入り込んで、カメラのシャッターを押すことが「国民の知る権利」なのである。 神秘性?そん
- なものは旧いのである。
また、「日本の侵略!」にも勝てない。19世紀から20世紀にかけての歴史の大きな流れやその国の
- 当時の自治能力の脆弱さなどは問題にせず、とにかく日本だけが侵略を繰り返し、各地で悪行を
- 重ねてきたという「日本の侵略!」論には、ただただ謝るだけが平和を愛する賢明な政治家や歴史
- の先生のとる態度なのである。幸いなことには、大学の入試でも「日本の侵略!」、「各地で悪行」の
- 線に沿って解答すれば満点なのである。
このように、「楽しさいっぱい」、「国民の知る権利」、「日本の侵略!」には何人も勝てない。それで
- いて多くの日本人は、これは少し変ではないかと疑問も懐いている。
したがって、「変でない日本」にするためには勿論、内なる諸々の改革が必要であろうが、そのい
- ずれも限界があり、なかには真摯な努力にも拘わらず、ほとんど効果のないものもあるように思わ
- れる。 勿論、その真摯な努力に敬意を払うが、前述のように、その根は深いところにある。
- 「黒船」の到来が、日本をシャンとさせる
- 今後、再び、好むと好まざるとにかかわらず、わが国に「黒船」がやってくる。その「黒船」とは何
- か。 実際に血が流れる紛争・戦争である。世界各地、ことにアジア・東南アジア、台湾、朝鮮半
- 島、尖閣諸島、竹島、北方領土など問題点は多く、またその根は深くなりつつある。 それらによっ
- て、実際に血が流れ、わが国の防衛は勿論のこと、邦人の救出、同盟国との軍事協力、流通ルー
- トの確保など、最早、抽象的観念論では対処できない事態になることである。勿論、関係国との
- 真摯な安全保障協定はなされるが、その混乱は甚大である。
- 人類は過去の歴史から学んで進歩しているが、しかし理想論としていわれるほど英知ではない。
- 大きくバランスが崩れようとするとき、理不尽に対決する。
このわが国にとっての「黒船」は、明治維新前夜の「黒船」や、1945年の敗戦という「黒船」と同様
- に、わが国を大混乱に陥れるであろうし、相当の血が流れ、人々は右往左往する。「少し近頃の日
- 本は変だ」論議など吹っ飛んでしまうに違いない。
明治維新は武士たちが、自分たちの帰属する武士階級を消滅させたという、世界史的にみても珍
- しい革命であるが、黒船の到来によって、このまま幕藩体制が続けば、当時の中国やアジア諸国の
- ように欧米列国の植民地になりかねないとの危惧の念が、そうさせたのであると考える。「黒船」は、
- わが国を大混乱に陥れ、かなりの血も流れた。しかし、じ後、日本人はシャンとし、その後の進むべき
- 道を誤らなかった。その後の進んだ道については、ご承知のとおりである。
そして1945年の敗戦も大変な「黒船」であった。いかなる戦争も、夢・幻のような面がなければ戦え
- ないが、戦争という夢も見ていた日本人は、じ後、シャンとし、進むべき道を誤らず良き日本を築きあ
- げた。その後の変化については前述のとおりである。
いずれ再び「黒船」はやってくる。 私はそう見ている。覚悟して備えるのと、友好親善・平和の名
- のもとに過ごすのとは混乱は多少、違ったものとなろう。 しかし日本人は賢明である。混乱の後、
- 必ずシャンとする。
1997年4月記
追記 2001年に再び“黒船”
今日( 2001年9月18日)現在、先週の火曜日にニューヨーク市等で起きたテロ攻撃に対して、
アメリカは、これを『戦争状態』として、見えない敵・ネットワークの組織に対して『新しい戦争』
に突入しようとしている。 その敵は、国境らしいものもなく『ヤマタノオロチ』ともいえる複数の
頭や尻尾を持った組織であるが、当面、アフガニスタンに対して、空爆、ミサイル攻撃、特殊部
隊による奇襲、また地上軍の進撃などが、とりさたされている。
この戦争は、まさしく、わが国にとって“黒船”といえよう。
「現行憲法の枠内で、できるだけ協力する」という『総論』については、政府、議会、また世論
でも大きな差はない。しかし、さて具体的に、どの程度、どのようにしてという『各論』となると、
いろいろと分かれてくる。 資金的援助を限度にすへき、またイズラム社会に対する理解を深
める策を講ずることを主にすべきなどの論から、積極的に関与すべきであるとする論まで、ま
ちまちである。
今のところ討論の域を脱しないように思われるが、特にアメリカ軍、多国籍軍、同盟軍に多く
の死傷者が出たり、また作戦が長期化すれば、わが国に対する国際的な批判は厳しくなり、
『死の商人』として非難されることになったり、それとともに国内でも国論が大きく二分される
ことになろう。
その機に及んで、なお「わが国およびわが国の周辺で、わが国の平和と安全を脅かす範囲に
アフガニスタンやインド洋が含まれるのかどうか」などと『小田原評定』を続けていることはでき
ず、具体的な行動をとらざるをえず、また時には現地指揮官が判断・実行しなければならない
状況も起こってこよう。
私は、その場合を含めて、政府、議会などが慎重に審議し、国民に計り決定されることを望み
たい。 速やかに、憲法9条のみならず、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永
遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」とする憲法の前文
の精神と解釈を国民に計られることが必要である。 現行ガイドラインの変更、また新立法に
ついても同様である。 それらについて、国民の十分な理解が得られるかどうかは、わからない
しかしその気になれば、政府や議会には手段はあると考える。
2001年9月18日記 ポーツマス条約