119. 『ゼロ・トレランス』から派生する問題


杉田荘治


はじめに
   今、アメリカは少し余裕を失ってきているように思われる。
   『ゼロ・トレランス』:zero tolerance、すなわち、ちょっとした生徒の違反行為についても容
   赦しないという政策は良いとしても、それが余りにも硬直して運用されることは問題である。

   確かに『ゼロ・トレランス』は、ある行為は学校では受け入れられないという明確なメーセージを
   送ることは良いが、誰が見ても生徒が“うっかりしていた”と思われるような行為や親の不注意
   によって、偶々そのような持ち物を車の座席に置き忘れたというようなケースは、長期の停学
   や退学処分にするよりは親に対して厳重に注意すれば良いもようなものについても、弾力的な
   措置をとることを恐れるあまり、厳重な罰を一律に科すことになれば、それは『ゼロ・
   常識』:zero common senseとして、むしろ学校当局が批判されなけばならない懲戒処
   分である。

   9.11事件以来、アメリカは入国審査を一段と厳しくするなど神経質になってきているが、
   生徒の違反行為についても、銃、凶器、麻薬のみならず平素の“ちょっとした”行為に対し
   ても安易に停学、退学にする傾向は強まり、あたかも「そこのけ、そこのけ、ゼロ・トレラン
   スのお通り!」のようなことになっては行き過ぎである。 最近のNew York Times紙などから
   見ていこう。

T New York Times(1/4/2004)号から
   学校は生徒の“ちょっとした”違反行為についても刑罰を与えようとしている。 すなわち、本来
   学校内で処理すべき事件についても少年事件として、これを進めようとしている。 ゼロ・トレラン
   ス政策を拡大して停学や退学、逮捕するような文化を創りだそうとしている。

   例1
    Ohio州で14才の少女がボタンのない下着を着て、胸と胴との間の部分が開いた服装で登校した
    が、それは明かに服装規定違反であった。 彼女は先生がボーリング・シャツを着るようにいった
    ことにも従わず、また母親が持ってきたTシャツを着ることも拒んだので、そこにいた市警の警察官
    が直ちに手錠を掛けて警察の車に乗せ、Lucas郡青少年裁判所の留置場へ連れていった。
    数時間後、母親が迎えにきて釈放されたが犯罪として記録されている。 裁判官は「彼女はその
    スタイルが不適当であると知っていたが、見せびらかしみたかっただけである」と言っている。

   例2
    Toledo地区でも10月中に逮捕された生徒は2ダース以上になるが、それらは、ある者は大声を挙げ
    たり、またある者は先生に毒づいたり、また服装違反の者が大部分で銃や凶器などに関するもの
    ではない。

   このようにLucas郡青少年裁判所主任判事James Rayさんも「皆、生徒を悪魔扱いにしている」といい、
   逮捕を取り扱う官吏のF.Witmanさんも「本当に先生に暴行したり、銃を持ちこむような重大な犯罪は
   2%にすぎない」と語っている。 同じように他の判事も「学校は何でもかんでも裁判所へ持ちこむので
   、これに振り回され危機にひんしている。居残りや停学のケースも持ちこまれ、裁判所は毒消しのよ
   うに使われている」と不平をいっている。

   またWashingtoにある市民権推進グループのデーターによれば、2001年にFlorida州Miami-Dade郡では
   2,345名の公立学校生徒が逮捕されたが、それは1999年と較べて3倍である。 しかもその60%は
   全く単純な暴行事件で、またそのなかには規則を守らない行為も多く含まれている。

U 2003 Copley News ServiceやCrossmyt.comの記事から
   それが重大な犯罪行為であれ、些細な違反行為であれ、『ゼロ・トレランス』といって区別せずに、この
   ルールを適用することは間違っている。 しかし誤解してもらったら困るが私は麻薬、凶器、いやがらせに
   対して厳重な措置をとられることを望んでいるのである。 また当局は当然にその権限があろう。 しかし
   「教え諭す」ことを忘れ常識や正当性を逸して規則のみを硬直して適用することを批判するのである。

   そのため全く悪意のない“無垢の生徒”を長期間の停学にし「麻薬常習者」とか「凶器携帯者」
   とか「性的異常者」などのラベルを貼って、半永久的な記録に書き留められ、将来、法執行官
   や雇用主に偏見をもたせることを心配しているのである。

   例3
    Ohio州のYoungstownの小学1年生が学校の簡易食堂からプラスチック製のナイフを書籍鞄のなかに
    入れて家へ持ちかえり10日間の停学になった。 その6才の少年は、それを使って脅かしたりしたわけ
    ではなく、家で母親に「僕はこれでパンにバターをつけたよ」と自慢したかっただけである。

   例4
    Colorado州Greeleyの中等学校の13才の少年が1年間の停学になった。 彼は今まで全く問題を起こした
    ことがなかったが、2.5インチのレーザー・ポインターのついたチェーンを学校へ持ちこんだためであったが、
    その後、オールタナティブ施設へ送られた。 そこには刑罰を受けた若者やギャング、“怒りの管理”とか
    いう連中の入っているところであった。

   例5
    New Jersey州Sayreville で4名の幼稚園児が“泥棒ごっこ”をして自分たちの指をガンになぞらえて遊んで
    いたために3日間の停学になった。 今、このケースは第3巡回裁判所で争われている。

   例6
    Colorado州で4名の小学生が休憩時間に“兵隊ごっこ”をして、自分達の指をガンのようにして遊んでいて
    昼食時間に“居残り”処分を受けてホームに座らされた。 その間、皆から、からかわれ、あざけ笑いの対象
    になった。

   例7
    North Carolina州Bayaroで9才の生徒がかも狩り用の装備を誇らしそうにみせびらかしていたが、そのボケッ
    トにショットガンのさやが残っていた。それは週末を父親とかも狩りに行ったためであったが5日間の停学に
    なった。

   例8
    Texas州Hurstで16才の優等生が校庭に留めてあった小型トラックの中にバターナイフがあったために5日間
    の停学とオールタナティブ・スクールへ送られることになった。 それは父親と一緒に前日、祖母の家から
    優良品ストアへ買い物に行き、買った日用品の一つであった。

   例9
    New Jersy州Irvingtonで8才の少年が紙で作ったガンをクラスメートに向けていたので“テロリストの脅し”
    とされ裁判所へ送られた。 無罪にはなったが、その記録は18才になるまで残されている。

   このような懲戒は善良な生徒に学校に対する不信感をもたせるだけの結果になる。 また少年たち
   から遊びを奪うような気風を作り出し、運動場のない学校を創るようなものである。 馬鹿げている
   というだけでは済まされない。少年の有り余るようなエネルギーを奪い、女の子のような遊びにしよう
   とする非常識な懲戒である。

V 多様な対策
  1 重大な犯罪行為と学校が処理すべき違反行為とを区別すること。そして青少年裁判所が必ずしも
    学校の問題を解決するための適当な場ではないことを再認識すること。
  2 生徒に対する精神的健康面について、もっと考慮すること。 そのエキスパート、カウンセラー、ソーシャル・
    ワーカーの活用など。 以前にはそのようなスペシャリストに相談しやすかったが近年、それが軽視される
    ような雰囲気になっている。 予算のカットも問題である。
  3 就職するという選択も重要である。 生徒のなかには毎日、5時間も教室で座っているよりは、働く環境に
    適する者もいるが今日では、その選択が狭くなっている。 教委もその対策が不十分である。
    【註】 Cascades Job Corps Center: 全米職業団体の活用を図ることも必要であろう。 この団体は、
       危機に立っている16才から24才の若者に対して職業トレーニングを行なっている。1964年以来、
       170万人に対して成果を挙げている。http://www.cascadesjobcorps.org

  4 『新教育改革法』による得点とその結果責任に予算配分が多く向けられて、事前指導を含めて生徒指導
    対策への予算がカットされる流れを変えること。
  5 家庭、放課後の特別学習、スポーツ、マイノリティに対する言語教育を強化すること。

W 参考  校内銃器取締法 : Gun-Free School Act とは
      アメリカで1994年に制定され1995年10月20日から効力が発生した法律で「校内へ火器、凶器
      を持ちこむような生徒に対して1年間の停学にすることができる」とされ、各州が地方教委に対し
      てそれを制定するように求めた。 もっとも地方教委のトップはケースによって加減することができる
      旨の例外規定もある。『ゼロ・トレランス』政策も実質的にはこれと同じことで、1年間の停学にすること、
      また刑事事件として司法当局や青少年裁判所へ送ることも規定されている。 (ESEA 70章) 
      また、この法律を定めることによって連邦からの基金も得られることも明記されている。

コメント  ご覧のとおりである。『ゼロ・トレランス』が発するメーセージは良いが、学校がそれに安易に
       頼り事を処理しようとする風潮が懸念され、その結果、異常に停学、退学、逮捕が増えている。
       わが国の場合は逆に違反行為を“見逃す”風潮が懸念されよう。
        なお兵庫教育大学の成田 滋 Ph.D. 教授から「合衆国の場合、多民族の課題が学校で多く
       見られるのはしかたありません。 保守と革新の分銅が揺れるのは、連邦と州政権の首長の
       考えが政策に反映するからだと思われます。9.12テロの後遺症が学校にも及んでいるとすれ
       ば、ゼロトレランスもしばらく続くものと考えられます」旨のコメントを頂いた。感謝している。

 2004年1月12日記           無断転載禁止


平成23年(2011年)6月11日追記   
        248,最近のアメリカのゼロトレランスとわが国の“ゼロトレランス”