6月のテーマ「京都」 「もうひとつの」 御於紗馬
日本武尊といえば、日本神話の英雄として抜群の知名度を誇ってますが、彼の御尊父であらせられる景行天皇となるとピンとくる人は少ないと思います。
いやいや、凄い方ですよ。熊襲征伐といえばヤマトタケルの代名詞にもなっていますが、景行天皇ご自身も九州に遠征し、各地を転々としながら七年の長きにわたって九州全土をを平定したのです。 東北は御食津大神…いや武内宿禰と言った方が通りが良いですね。非常に有能なブレーンが抑えていましたので、安心して西征が出来たのでしょう。 え? 「京都」の話じゃないのかって? いやいや、そう思われるのもごもっともですが、これもれっきとした「京都」にまつわる話。まあ、「府」ではなくて「郡」。読みも「きょうと」ではなく「みやこ」。福岡県に京都郡という地があるのですよ。私が生まれ育った故郷です。かつては「美夜古」と書き記しました。景行天皇が行宮を置いた場所の一つであるので、「みやこ」の名前が残っているのです。 しかし、まぁ、考えても見て下さい。「京都郡」は明治政府が郡区町村編制法を発布した際にできた行政区画です。天皇中心の明治政府が、一地方に畏れ多くも「京都」の名を、何の根拠も理由も無く冠せると思いますか? 過去、行宮が置かれた場所もここだけではないにも関わらず、ですよ。 話が少し逸れますが、大王の成したことに、土蜘蛛退治があります。土蜘蛛といえば巨大な化け蜘蛛のイメージがありますが、元々は朝廷に従わない、土着の民を指しました。土着、と言ってもピン切りです。あるいは一部族であり、あるいは一種族であったり。 カルスト台地で有名な、平尾台の青龍窟での戦いは、今なお語り継がれる伝説になっています。青龍窟は未だに全貌が把握できていない、深淵たる鍾乳洞です。 洞穴の闇の中には、旧い種族が棲んでいました。光を嫌い、闇夜に乗じて人里を襲っては飢えを満たしていたのです。その姿も「土蜘蛛」というに相応しい有様でした。 景行天皇は兵を引き連れて青龍窟を強襲しましたが、兵たちは敵の様相を見て慌てふためき、大王を残して逃亡します。 しかし、一人になっても彼は恐れを見せませんでした。十拳の銅剣を振りかざし、毒のある爪を避けながらの大立ち回り。何匹もの異形のものに囲まれながらも、彼の一撃は敵を厳しく打ちすえます。その時砕けた剣の破片は地元の神社に、今も残っているのです。 かの一族は大王の雄姿に感動し、膝折りして忠誠を誓ったそうです。その時「みやこ」の地名を頂いたのですよ。ええ、明治政府もこの名を覆すことはできなかったのです。 今でも八月の満月が美しい夜には、かの種族の末裔が地上に出でて、彼を讃える宴を開くと言い伝えられています。 |