さいたま
さいたま市の病院のベットは、拘束着の少女で一杯だった。
何の変哲もない日のはずだった。予兆も感じられなかった。ただ、突然、学校で、体育館で、街角で、公園で、喫茶店で、バイト先で、プールで、レストランで、カラオケで、自宅で、バスルームで、トイレで、ラブホテルで、何百という少女たちが一斉に、「さいたま」と連呼し、白目を向いて、太陽に追いつこうと走り出したのだ。
その場に居合わせた者は異様な光景に目を丸くした。ある少女は制服で、ある少女は普段着で、水着で、体操服で、パジャマで、全裸で、パンツ一枚で、髪を振り乱し、何物かが取り憑いたかの如く、一斉に西を目指した。驚いたのは回りの人間である。仲間が居れば仲間が、家族が、恋人が、教師が、通りがかりが、抑えつけたは良いがどうにも為すすべはなく、救急車を呼ぶという至極当然の手段に、誰しもが行き着いた。
翌日、「さいたま症候群」の少女達は全て病院に収容され、医師団の迅速なる診断が行われていた。とはいえ数が多すぎる。レントゲンにCTスキャン、脳波や血液検査が行われたが、全く異常は見出せなかった。ただ一つ、乳腺が年齢よりも発達している事が明らかになった。発症した乙女達は数日前から未妊娠にも関わらず、母乳を生産していた事だろう。だからと言って、解が判ったのではなく、奇妙な事実が一つ増えたに過ぎなかった。
心理的要因も考えられるたが、本人達は心ここに在らずの状態でカウンセリングも心理検査も行える状態ではなかった。故に家族知人に対する聞き取りしか行えなかった。無論、実りある結果は見出せない。ほんの数時間前までは普通の生活を送っていただけである。特に快活だとか鬱だったりなどはない。心身ともに不安定な時期の、14歳の少女である。何が起きても不思議ではないが、年齢と性別ぐらいしか共通点は見出せなかった。
三日目。その日は異常に熱かった。暑いのではない、もうとした熱気が漂っていた。熱気の出先は病院である。病院のベッドの上に横たわる少女たちが、物凄い高熱を上げ始めたのだ。家族も医師も看護婦もおいそれと近づけない。消防署から耐火服を借りて、漸くベットの傍に寄る事が出来た。が、何をして良いのか皆目見当すら付かなかった。彼女達はあいも変わらず、「さいたま」と呟きつづけていた。
未成年と言う事もあって報道機関は遠慮していたが、週刊誌は薬やゲーム、果てまた性病ではないかと妄想を逞しくしていた。ネットの一角でも、不穏な憶測が繰り広げられていた。無論、真実に到った人間は一人としていなかった。
警察も動いた。薬物のルート、裏金のルート、風俗のルート、TVのルート、あらゆる可能性を検証したが、人知の行き着き得る状態ではなくなっていた。学者の中には、自殺する者もでた。世界の法則の歪みに巻き込まれまいとした、そんな遺書が多かった。
四日目。熱い、なんて言葉では言い表せない状態になった。病室の温度が、100度を越えたのである。人間の、いや生き物の出せる温度ではない。生きること自体不可能な高温の中、少女たちは縛めを解こうと身を捩じらせながら、「さいたま」「さいたま」「さいたま」とうわ言の様に唱えていた。否、火照る身体をもて余し、愛人の到来を待てずに一人慰め、喘いでいるかのようだった。
五日目、とうとう拘束着が焼け切れた。雪崩の様に、津波の様に、年端のいかぬ全裸の少女たちは病院の窓を突き破って駆け出した。「さいたま」「さいたま」「さいたま」と口々に歓喜の表情で叫びながら。紛う事無く、西へ、太陽の沈む方向へと。折りしも正午をやや過ぎた頃である。太陽を追い越さんばかりに、少女たちは風の様に舞った。
少女達の熱気で、道路のアスファルトは蒸気となった。ビルが蕩けて重みで潰れた。彼女等が近づくと民家は燃え始め、あたりは火の海になった。それでも彼女等は「さいたま」と連呼しつつ、物凄い速度で西に向かった。
学校にぶつかった。瞬時に生徒の半数が蒸発し、残りの半分は消し炭になった。思う間もなく、幾つもの市街地が壊滅した。やがて町を、村を焦土とし、日本アルプスに差し掛かる。緑と水の豊かな大自然さえ、神懸かった乙女達の狂宴(カーニバル)をとどめる事は出来なかった。世界に誇り得た峰も丘もせせらぎも、熊や猪などの動物達も、希少な植物も、核の炎に焼き尽くされたが如く、影も形も残さなかった。
狂気の行軍の模様は、民放で完全生放送された。TVに見入って逃げ遅れた者も少なくは無かった。それでも、日本海に到ったのは五時になろうかというところだった。誰もが、集団入水する、レミングを思い浮かべた。白光しかかった少女たちが日本海の荒海に触れた瞬間、物凄い熱量であたりは水蒸気に覆われた。濃い中、彼女達は右足が沈む前に左足を踏み出した。蒸発する海水が彼女等の足場と成ったのだ。そのまま、水平線の向こうへと少女たちは消えていった。見送った日本人の目からすると居なくなったように見えただけだった。
少女達の速度は、音の速さに迫りつつあった。韓国を通過し、その被害が報道される頃にはゴビ砂漠を通過し、ヒマラヤを蹂躙し、中東に到った。何の情報も持たされなかった数億の人間が命を落とし、悠然と存在した大地に深い溝が刻まれたかのようだった。人間の建造物など、怪獣映画よりもチャチに見えた。
大西洋に差し掛かった時、音の何倍も速くなった乙女等は天に翔け上がった。もう何が起きても不思議ではなくなっていたので、人類はただ、ぽかりと口を開けて見守る以外に無かった。宗教家達は様々に説明をつけようとしたが、人の頭で取って付けた説明など、神が居たら怒るような代物に過ぎなかった。
十日も過ぎただろうか、太陽が一瞬、真っ白に光り輝いた。誰もが、少女達が太陽まで行き着いたことを知った。彼女達の親族や近しい者たちは涙を流し、悲しんだ。だが、多くの人は、「これで終わった」と安心した。宗教家達は「二度とこんな事がおきないように」様々な手をひけらかして、それなりに儲けた。
一年後、大きく残された傷がまだ癒えぬ地球に、流星の如く少女が降って来た。轟音を響かせて、大地にクレーターを作りながら。彼女達は帰ってきたのだ。狙ったかのように、彼女等の自宅めがけて降ってきたものだから、例外なく、彼女等の血縁者、両親や兄弟が巻き込まれた。
心神喪失の状態であり、「さいたま」の一言も発しなくなっていたが、目立った変化が一つだけあった。少女達の股間には、立派な陽物が具わっていた。
再び病院のベットが一杯になった。引き取り手もなく、ただ虚ろなだけの少女など、どうにも手をつけることは出来なかった。いや、彼女たちの方が積極的だった。昼間は確かに大人しかった。外が見えれば、太陽を、朝焼けから夕焼けまでずっと、飽きる事無く観ていた。陽光が焼きついてしまうのも厭わなかった。しかし、夜になると病室を抜け出し、看護婦や他の患者や近隣の女性を犯した。太陽の焼きついた眸で見つめられると、そこがどこだろうが拒めないと女たちは言った。
交わった女は須らく妊娠し、3ヶ月で子を産んだ。どの子も、女の体に陽物が付いていた。さほど手をかけるまでもなく、一年もすれば、普通の15歳程度まで成長し、なおかつ子供を作れるようになっていた。そして、現に作っていった。
悪い夢の様に、太陽から帰ってきた者達の眷属は、増えていった。必然的に、彼女等の抹殺を求める声も上がる。実行した人間も多かった。ただ、多いだけだった。柔らかな肌はあくまで柔らかく、鋭利な刃物を持ってしても、傷一つつけることは出来なかった。銃による衝撃にも強かった。ダンプカーで轢いた所で、全く動じる事はなかった。
そしてまた、彼女達は男も犯していた。また、男によって犯されていた。快楽と言う代償により、男たちは発言権を失っていた。実際のところ、祖の都度彼女達は懐妊していたのだが、腹が膨れる間もなく子を産み落とし、一日もすれば生殖可能な状態に育っていたので、気が付くものが居なかったのだ。そうして、ふたなりの乙女は増えていった。地続きであれば徒歩で、海があっても流された。どんな島でも、乙女が一人辿り付き、そこに人間が一人でも居れば、何十倍にも何百倍にも増えあがった。
五年後、元より居た人間よりも、太陽よりの者達の方が多くなった。もはや彼女等を留めるものは居なかった。昼も夜も引っ切り無しに、老若男女を問わず、人種も醜美も問わず、場所も問わずに人を犯し続けた。実のところ、人だけではなかった。ペニスが入る場所ならば全て、彼女達は交わった。そして半人半獣の者たちが産まれた。彼女等もまた、ふたなりであり、そして人間とも仲間とも交わりあった。
時が止まっていることに気が付いたのは誰だろう。朝も昼も夜も休み無く、引っ切り無しに続く肉の狂乱に、誰一人として働く事無く、食事もなく、糞便をたれる事もなく、野ざらしで雨に打たれ風に吹かれても誰一人として病に倒れる者は居なかった。彼女等と接している事が条件のようだった。河や海に落ちても、息をせずとも死ぬ事は無かった。ただただ性交の快楽に溺れ浸っていた。
少女達の温度は再び上がり始めた。今度は誰もこげ落ちることは無かった。全ての生物が、鉄をも溶かす温度を発しているにも関わらず、だ。海は干上がり、水蒸気や空気は、宇宙に拡散した。ただ、肉が満ちた。生きた肉体だけが星に存在する事が許された。折り重なった肉体は身動きが叶わず、膣、もしくはペニスの不随筋だけがヒクヒクと脈動を繰り返していた。
蒼かった地球は、肉色に染まった。鉱物もマグマも全て蒸散し、一切の生き物が、一切の分け隔てなく、地球と言う星を覆い尽くした。
太陽から零れ落ちた精液が、ようやく、大地と受胎したのだった。
太陽は安心して、少々早いが老年期へと移っていった。
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