福島県双葉郡富岡町  2013 10/5〜7

今回は初めての地=福島県へ行ってきました。愛知ボラセンが、新たな段階へ踏み出すかもしれない?!

伺ったのは2011.4月から「全村避難命令」が出ている、地震被害よりも津波被害よりも”放射能汚染被害”が大きかった双葉郡富岡町。爆発はしていない福島第2原発のお膝元、爆発した第一原発からは15Km。
(流石に観光バスは会社規範によって乗り入れられないので、レンタカーに乗り換えてゆきました)


ここに、避難命令に逆らって、住み続けている方がいらっしゃいます。松岡さん。上図ピンクの輪の中のどこかに家があります。


飼い主・牧場主などがいなくなってしまったため餓死しかけていた沢山の動物の面倒を見て暮らしています。
少しだけ山に入った農業が主な産業だった村で、たった1人で、先月(2013/09)までは電気も来ていなかったところで、カセットガスコンロと石油ストーブで湯を沸かして、食事は隣町のコンビニまで買いに行き、暮らされています。

日本では殆ど取り上げられていませんが、海外メディアは殺到しているそうです。警備に見つかってしまったため、半日逃げ回った外国人記者もいるとか・・・。
 


その松岡さんの御自宅に上がらせて頂いて、沢山のお話を伺ってきました。
参加ボランティアは真剣に聞き入ります。質問をし松岡さんが答え、また質問をし。
皆’1人では寂しいんじゃないか?’と思っていましたが、隣町には沢山の友だちがいて、色々な情報をもたらし生活支援もしてくれているそうです。


中でも印象的だったのは、役場職員との行き違いで一度滞在許可を取り消された時、ちょっとネットでつぶやいたら日本はおろか世界中から抗議の電話とFAXが殺到したとのエピソード。電話が鳴りやまない、FAX用紙はすぐに無くなる。あわてて許可取消を取り下げたそうです。
これに慌てたからなのかどうかは判りませんが、某総理大臣の奥方も訪れたらしい。

そんなお話を伺ってから(この最中、保護した猫ちゃんたちが足下を駆け回って甘えていました。可愛かったw)、松岡さんの畑へ連れていっていただきました。

そこには保護した牛と馬たち! なんでも暴れる牛をねじ伏せて、足を縛って連れてきた!!、とか。 ハルク!!


手を入れていない田圃には背高泡立草が一面に繁っています。
その向こうに見える天体望遠鏡ドームがいっそう悲しかったです。今回のボラはこの草を刈ることが主目的だったのですが、「雨のため被爆がどうなるのか判らない」と言うことで断念して、先ほどの”お話を伺う”にかわりました。
ここは私や他の数名の参加者との意志に食い違いが有るので、後日意見具申をするつもりです。「科学的根拠」を基に。


最後に松岡さんが飼われているダチョウたちと記念写真を撮って、我らは海へ向かいます。
そうそう、このダチョウ君たちにそこらに生えてる草をチギって差し出すと、美味しそうに食べてくれました。間違って手を囓られても痛くは無かったです。”次くれー! 俺にもくれー”が面白かったww



車は東へ、海へ向かいます。途中の坂の上の家々は何も津波の被害は受けて無く、けれど誰も住んでいないゴーストタウン。かなり複雑な心境になります。日本にこんなところが有るとは・・・


この心境を更に複雑にしているのが、”津波と放射能”の補償基準。知らなきゃ関係ないのだけど、知っていると悩みます。

放射能で放棄された家には東電などから補償が出ますが、同じように放射能で帰れなかったけれど津波で家が流された人には他の地域と同じだけの補償しかない。
また、避難区域に指定されたところとされなかって所は、道を一本挟んでいるだけ。
指定されなくたって放射能汚染地域周辺には誰も来ないし、道は行き止まりなので通る車もない。これで「そこは被災していないから今まで通り自分で稼げ」と言われてもなぁ。。。


車は海辺側に有る駅へたどり着きます。この線路は廃線になるとか。


その廻りには、所有者の同意無く壊された家の跡地に草が茂り、いち早く気が付いた方々が撤去を止めた家は被災時そのままで残っていました。
 

家の中に車が流れ込み、家が道の真ん中にながされた、そんな景色が2年半もそのままでした。
 

堤防も見事に破壊されています。押し波で壊れ、引き波で流され。建設途上だった新しい道路の橋脚だけが、空しく建っていました。
 


ちょっと遠くをながめると、第2原発。稼働はしていないけれど、毎日数百数千の人々がここに吸い込まれ吐き出されます。近くの宿は満杯でした。



最後の最後に全員で写真を撮って、現地を後に。


高速道路の「通行止め」表示が寂しかった。”復旧”? 出来るの?