番外 三重県 紀宝町 3/24−25
昨年秋に大雨によりあちこちで甚大な被害をもたらした土砂崩れ
愛知ボラセンも家屋に流れ込んだ土砂の掻き出しなどのボラを行っていた
それが半年たってもそのままだとの新聞報道があり、急遽決まった紀宝町行き
土曜日23時に集合し、金曜に出発して作業を行ってきた先発組みと交代で、バス1台と2tトラック1台、計34名で23:30出発。
時間はたっぷりあるのでなるべく下道を使い、朝6時前に現地近くのコンビニPで仮眠を取って、道の駅で休憩して8時に現地入り
その道の駅には、去年から散々見てきたこんな幕が張ってあった
現地へ行く道路は熊野川のほとりを走っている。そこは”関係者以外通行止め”となっていて、特別許可を取って進入
山側も川側もそこらじゅうで崩れていて、積もった土砂や崩れた路肩で道幅は大型バスの車幅ぎりぎり 後輪半分はみ出してないか?
集落へ差し掛かると・・・・・ 去年の4月に石巻で見た景色が広がっていた・・・・・
到着したボラ先は・・・ 1区画が全滅!
緩斜面に建っていた家は土砂崩れで押し流され、急斜面に建っていた家は足元を失い大破!
対岸にも崖崩れの跡・・・・
休む間もなく作業に取り掛かる
今回は一軒の空き家をお借りできたので、そこに荷物を置いて作業へ向かう
木片やら石やらが散乱した土砂の中には家の残骸が埋まっている
車やトラクターや、家庭にあるもの全てが埋まっている
これを手作業で、つるはしやらスコップやらを用いてゴミを掘り出してゆく
日差しは強く、すぐに汗まみれ
と、そこに一台のパワーショベルが登場!
住民の方がもってきてくれたようだ
ワイアで車を吊り上げ、トラックに載せて運び去っていった
車がなくなったので作業領域が広がり、大木数本もパワーショベルで撤去!
一気に作業がすすんだ!
『そんな機械が自由になるなら、最初っからやれよ』
そう思うだろう?
だけど、住民の方々だけではどうしてもその気が起きない
家を流され絶望に打ちひしがれ行政からも見放されている被災者
明日を作る! なんて気は2週間で失われてしまう
半年間、絶望の中にいた被災者
と、そこに瓦礫撤去ボランティアが団体でやってくるという情報
あれよあれよという間に片付いてゆく瓦礫
”こりゃ俺もじっとしてらんねぇ!”
そうやって”生きる”という心に火が付いた被災された方々
これこそがボランティアの真の目的!!
12時になり、休憩所へもどって、各自持ち込んだものでお昼
と、そこへ住民のかたからの差し入れが!
美味いよーーー!! 一気にヒットポイント回復!
休んでいる足元には春が訪れていた
午後の作業は、女性陣で先ほどまでの地の仕上げを、男性陣は新たな残骸撤去を
それは奥の急斜面に残る家4件分の瓦礫処理
狭いところに縦4段に建っていた家が、全て押し流され破壊され積み重なっている
宙ぶらりんになっている木材も多く、上から順番にやっつけないと身が危険
斜面を迂回し上方に回り、足元を何とか確保して、手作業で一本一本拾い集めて、10人が一列になり手渡しで瓦礫を運び出してゆく、気の遠くなる作業
と、いつの間にかその列がとても長くなっている
ボランティア全員で作るバケツリレー!!
先頭にいる俺が拾った木片が、柱が、板が、30m先のゴミ集積場まで運ばれてゆく!
ペースが上がったね!!
(木片はその場で燃やしています。家がなくなったから土地がある・・・)
3時間作業して、綺麗になったとは言いがたいけど、成果がしっかり見えた
朝から夕方までかかって、悲しい証が消えた被災地
最後に地元の方を交えてミーティングを行って撤収
また名古屋まで5時間のバスの旅