3回目 気仙沼 5/13〜15
3回目の参加となった東日本大震災被災地への現地ボラ、今回は石巻の更に北=気仙沼を目指します。
初めて訪れた東北道のSAには、ボランティアのための情報版(長らく更新されてなさそうですが)。
東北道を若柳金成ICで降り、県道4号=国道346号=国道398号をたどり、立ち寄った「南三陸町防災対策庁舎」。
最後の最後まで市民に避難を呼びかけて、自らは帰らぬ身となった遠藤未希さんに皆で黙祷。
そこからもう少し走って、今回のボラ地=気仙沼市蔵内地区到着。
現地のボラセン=ハマセン=に立ち寄り、具体的なボラ先を聞き出して移動します。
このボラセンは高台に建っているけれど、そこへ上る道路から海側を見下ろすと、まだ何も手が付いていない被災家屋が。。。
「これから行くところはこんなところなのか?!」と、かなりビビる・・・
隊は2つに別れ、それぞれ海岸そばの被災家屋の片付けをおこなう。俺が行った家屋はこんな立地。
海のすぐそば・・・ リアス式海岸なので、家は標高5mくらいのところ。この写真にも写っているケヤキの大木撤去が主目的。半分坂下に落ちかかっている。
着いてすぐに泥の掻き出し作業をはじめ、同時に選抜メンバーは巨木撤去方法の検討を進めています。
家の裏には倒れなかったもう一本の巨木。
その木の4mくらいのところに、板やら何やらが引っかかっている。水面はあそこまであがったんだ・・・・
皆で泥や壊れた食器やらをひたすら片付けます。泥を掬い、木片を拾い、かわらを拾い土壁を拾い、それぞれを土嚢に詰めてゆく(今日、今までに集めた瓦礫などの分別が始まった、との報道。俺たちのやり方は間違っていなかったと確信)。
昼飯をはさみ、この家の主からいただいたミネラルウォーターで喉を潤し、いよいよ大木の撤去作業!
あーでもない、こーでもない、これじゃダメだ、これならどうだ? と準備を進め、くくりつけた縄でそこにいた全員が力を合わせ巨木を引き上げる!
音頭担当の”それぇ! ひけぇ! もっとぉ!”の声にあわせて皆の力でロープを引っ張る!!
縄がはずれる・切れる、引っかかる、などの困難を乗り越え、坂の下から上がってきた倒木。歓声が上がる!
更にここから運び出せるように、チェーンソーで切り分けて(初めて使ったチェーンソー、結構コツが必要だった)
切りあがった椅子のような丸太を集積場に運んで、主目的は完了。泥片付けもやれるだけやって、朝10時から夕方16時までかかって片付けた、被災者の家(跡地)。
家主御夫妻から「ありがとうございます」の声を聞き、嬉しくて涙がこぼれてきたんだけど、同時に悲しい涙もあふれてきた。
なんでか?というと、昼食休憩の間に見に行った海岸線=港。
岸壁は通常満潮の海面から10cmの高さ・・・・ 大潮の時には確実に水面下・・・・
彼らは新しい生活を一生懸命片付けたこの地で再開できるのか?・・・・
全てが終わったあとはボラセンにもどり報告会。
そこにはあちこちからのボランティアが集結していた。関東から、東海から、関西から!
そこで聞いたこのボラセンの情報
「
テントは有ります 寝袋もあります 3食有ります 身一つで来てもらっても、すぐにボラに専念できます」
ヤバィ ヤバィ ヤバィ・・・